オロドゥマレ
オロルン · オロドゥマーレ · エレドゥマレ
西アフリカのヨルバ人が奉じる至高神。天(オルン)の主にして万物の源とされるが、神像も社ももたず、直接の供犠も受けない。世界の統治はオリシャたちに委ねられている。
解説
概要
オロドゥマレ(ヨルバ語 Olódùmarè)は、西アフリカのヨルバ人が奉じる至高神である。オロルン(Ọlọ́run)、エレドゥマレなどの名でも呼ばれ、アフリカ神話のオリシャ信仰において万物の源に置かれる。オロルンの名は「主」を意味するオニと「天」を意味するオルンの縮合で、「天の主」を指す。オロドゥマレの語源には諸説あり、「尽きることのない創造の源の主」と解する説のほか、イファの詩句に拠って「虹の輝き出る壺の主」とする解釈も伝えられる。
この神格を特徴づけるのは、崇拝の形式である。人はオロドゥマレを直接には拝まない。専用の神像も社もなく、名指しで供犠が捧げられることもない。祈りは創造神としてのその名に向けられつつ、祭祀の実務はすべてオリシャたちを介して行われる。宗教学ではこのあり方を分有的一神教(diffused monotheism)と呼ぶことがある。
神話・物語
創世の物語において、オロドゥマレは自ら手を下さない。原初、下界は水ばかりであった。オロドゥマレはオバタラに大地を造る役を与え、砂を詰めた蝸牛の殻と、砂を掻き散らす五本指の雄鶏、地の固まり具合を試すカメレオンを持たせて天から降らせたと語られる。ところがオバタラは椰子酒に酔って眠り、その隙にオドゥドゥワが道具を奪って先に陸を築いた——これがイレ・イフェの起源譚である。オバタラを奉じる集団とオドゥドゥワを奉じる集団とでは今日も語り口が異なり、両者の対立と和解はイフェのイタパ祭で毎年再演される。
人の身体を粘土から造るのはオバタラの仕事だが、そこに息(エミ)を吹き込むのはオロドゥマレの領分とされる。創造が二段に分けられているところに、この至高神の位置が現れている。
もうひとつ広く語られるのが、オシュンをめぐるイファの詩句オセ・トゥラである。地上を整えるために遣わされた十七柱のうち女性はオシュンただ一人で、他の十六柱は彼女を排した。仕事はことごとく失敗し、天へ戻った神々にオロドゥマレは「オシュンを加えたか」と問うたという。ここでのオロドゥマレは、命じる者であると同時に、事の理非を裁定する者である。
善と悪の扱いも独特である。ヨルバの思想では悪(イビ)なくして善(イレ)はないとされ、両者の均衡は宇宙が成り立つ条件と考えられる。オロドゥマレの下には、オリシャと並んで災厄をもたらす霊アジョグンが置かれる。
図像と象徴
オロドゥマレには図像がない。彫像も仮面も、この神格を表すものは造られてこなかった。これは資料の欠落ではなく、直接崇拝しないという祭祀のあり方の帰結である。図像を持たないことが、この至高神の性格そのものを語っている。
代わりに象徴として働くのが瓢箪(イグバ)である。ヨルバの宇宙観では、閉じた瓢箪の上半分が天オルン、下半分が地アイエにあたり、二つの椀が合わさって一つの全体をなす。創世神話でオバタラが携えたとされる「存在の瓢箪」イグバ・イワも、この形の延長にある。オバタラに結びつく白——染めていない布、白墨エフン——は、清浄と天上性の色として、やはりオロドゥマレの領域に連なる観念である。
あらゆる存在に配分される力アシェも、オロドゥマレに発するとされる。イフェの彫刻で頭部が身体に比して大きく造られるのは、アシェが頭(オリ)に宿ると考えられたためだと説明される。目に見える像を持たないこの神格は、他の神格の図像に配された記号のうちに間接的に現れる、と言ってよい。
系譜と関係
オロドゥマレには親も配偶者もない。系譜の語られ方が他のオリシャと根本的に異なり、関係はすべて下方向——遣わす者と遣わされる者の関係——として構成される。その下に、人類の創造に先立つ原初の霊イルンモレと、数多のオリシャが置かれる。イフェが「四百一柱の神々の都」と称されるのは、その多さを言い表す形容である。
オバタラはオリシャたちの王とされ、オルンミラは「イグバケジ・オロドゥマレ(至高神に次ぐ者)」と称えられる。人の供物を神々へ取り次ぐのはエシュの役目であり、海と深淵を領分とするのはオロクンである。
新大陸ではこの至高神が三つの相に分けて語られることがある。キューバのサンテリアでは、オロドゥマレを存在の本質、オロルンを万物の創造者、オロフィを被造物に内在する者とし、三者を一つの神格の相とする。研究者はここにキリスト教の三位一体との形式的な近さを指摘する。ブラジルのカンドンブレやトリニダードのオリシャ信仰でも、オロドゥマレは世界の創始者として立てられる。
文化的足跡
19世紀後半、サミュエル・アジャイ・クラウザーによる最初のヨルバ語訳聖書は、キリスト教の神にオロドゥマレ/オロルンの名を、悪魔にエシュの名を当てた。この訳語の選択は今日まで議論の的であり、習合の一例であると同時に、本来は性を持たなかったこの神格に男性という性を与える契機になったとも指摘される。イファの詩句においてオロドゥマレは、霊的な存在としてのみ語られ、性を持たない。
ディアスポラの音楽にもその名は現れる。ブラジル・バイーアの打楽器集団オロドゥンの名はオロドゥマレに由来し、ポール・サイモンやセルジオ・メンデスの楽曲にも歌い込まれた。近年はゲームなどの創作にも登場するが、そこで与えられる造形は、像を持たず直接には祈られないという原典の姿とは隔たっている。