テオニム THEONYM · 世界神話アーカイブ 神格を検索
オロクン
PLATE — OLÓKUN
AFRICA · アフリカ神話
OLÓKUN

オロクン

オロクーン · オロクム · Olókun

Ji-Elle CC BY-SA 3.0

ヨルバとエドが奉じる海のオリシャ。深海の王として富と豊穣をもたらすと崇拝され、地域によって男神とも女神とも語られる。イフェ出土の真鍮頭部にその名が冠せられた。

01

解説

概要

オロクン(ヨルバ語 Olókun)は、アフリカ神話のうち西アフリカのヨルバ人とエド人が奉じる海のオリシャである。名は「海の主」を意味し、大洋の底を領分として、川・潟を含むあらゆる水域と、そこを司る他の神格の上に立つ水神とされる。信徒に富と健康と繁栄をもたらす力で篤く崇められ、の神格としての性格も強い。

この神格の性は一定しない。海に接するヨルバの沿岸部では男神として、内陸部では女神として語られる。エドのベニン王国では男性、ブラジルのカンドンブレでは女性、キューバのサンテリアでは両性の神格として扱われる。伝承をひとつに揃えようとすると、この振幅そのものが見えなくなる。

神話・物語

イファの詩句(オドゥ・イファ)に、オロクンを鎖で縛る話がある。怒ったオロクンが海面を上げて人を溺れさせようとしたため、神々はオルンミラに助言を求めた。オグンがありったけの長さの鎖を鍛え、オバタラが天から海へ降りて、オロクンをその領域に繋ぎ留めたという。制御しきれない海の力を、いったん封じるという主題である。

イレ・イフェの王朝伝承では、オロクンはオドゥドゥワの正妻に数えられる。他の妻との争いから、彼女が大西洋を現出させたと語られる。一方、イフェのイロデ区にあるオロクンの社の祭司は、創世のとき地上に満ちていた水をこの女神が一箇所に集め、遠い果てへ運び去ったのが今日の海である、と説明する。

ブラジルのカンドンブレでは、オロクンはイエマンジャの母、海の所有者とされる。ただしテレイロで神格として認められてはいても、シレの歌は捧げられず、祭の場に降りることもない。オドゥドゥワやオルンミラと同じく、西アフリカで大きな位置を占めながら新大陸では役割の縮んだ神格である。20世紀末以降、西アフリカの祭司の来訪を機にその祭祀が再興されつつある。

オンド州の海岸沿いに住むイラジェの人々のあいだでは、オロクンは子を授ける女神である。波を支配し、悪をなす者の船を沈める力をもつとも伝えられる。祭では信者が白衣をまとい、顔に白墨エフンを塗る。

図像と象徴

オロクンの図像がもっとも豊かに展開したのは、ヨルバランドではなくエドのベニン王国の宮廷美術である。ここでオロクンはオバ(王)の霊的な対応者と位置づけられ、両者の記号は重なり合う。中核をなすのは、腰から下が泥鰌(マッドフィッシュ)になった人物像である。水中と陸の双方で生きるこの魚は、人であり神でもあるという王の二重性を担い、オバ・オヘンはオロクンの再来として泥鰌の脚で表された。

赤い珊瑚の玉もこの神格に結びつく。オバのみが着用を許した珊瑚は海の彼方からの交易でもたらされ、真鍮板の背景に刻まれる川の葉文様とともにオロクンの領域を示す。象牙は白——清浄の色——であり、かつベニン最大の交易品でもあったために、やはりオロクンの象徴群に加わる。海を越えて現れたポルトガル人が、その領域の住人と見なされたのも同じ文脈にある。ベルリン民族学博物館は、こうしたモチーフを持つ15〜17世紀の真鍮板を「オロクンの世界」としてまとめて展示している。祭祀の場では白衣、白墨、水を蓄えた壺、真鍮の小像、珊瑚玉が用いられ、ベニン市内の社はオヘンと呼ばれる女性祭司が守った。

一方、ヨルバ側で「オロクン」の名を負う最も名高い作品は、その同定自体が問題を孕んでいる。1910年、ドイツの民族学者レオ・フロベニウスはイレ・イフェ郊外の聖林に埋められていた等身大の真鍮頭部を掘り出し、これをオロクンの像と呼んだ。以後この頭部は《オリ・オロクン》の名で知られる。ただし、精緻な玉飾りの冠と顔面の細い条痕をもつ同種の頭部は1938年にウンモニジェで十数点が出土しており、現在ではいずれも歴代のオーニ(王)を表すとみるのが一般的である。神の名は発見者が与えたものである。

フロベニウスはこの頭部を「大西洋アフリカのポセイドン」と讃えつつ、これほどの造形をアフリカ人が生み出したはずがないとして、前13世紀のギリシア人植民地の遺物、すなわちアトランティスの痕跡であると主張した。1911年に公表されたこの説はとうに否定されているが、当時の西欧がアフリカ美術をどう見ていたかを示す記録として残る。ヨルバ出身の作家ウォーレ・ショインカは1986年のノーベル賞受賞講演でこの態度を取り上げ、作品を称えながら作り手を貶める論法が収奪の口実として働いたと批判した。

《オリ・オロクン》の来歴をめぐる議論も長く続いた。1949年、ウィリアム・ファッグとレオン・アンダーウッドは現存する頭部を近代の砂型鋳造による複製と判定し、原品は行方知れずになったとする見方がその後の通説となった。しかし2010年に大英博物館で行われた再検査(ポール・クラドックらによる報告、2013年刊)は、この頭部が他のイフェ出土品と同じ中空の蝋型鋳造であり金属組成も一致することを示して、1910年に掘り出された品そのものである蓋然性が高いと結論した。像に与えられた神名も、真贋の判定も、後代の解釈が幾重にも積み重なっている。

系譜と関係

系譜は伝承ごとに異なる。イフェの王朝伝承ではオドゥドゥワの正妻、カンドンブレではイエマンジャの母とされ、両者を配偶者の関係に置く伝えもある。富のオリシャであるアジェを子とする伝承もあり、いずれの場合も、海が富を産むという発想が通底している。潟と河口を領分とするオロサ(オサラ)は対をなす神格で、別の祭で祀られる。

ヨルバランドで海そのものを司るのはオロクンであり、イエマンジャの領分は本来オグン川をはじめとする河川である。新大陸で両者の性格が接近し、イエマンジャが海の女王として描かれるようになった経緯を踏まえないと、この二柱は混同されやすい。

文化的足跡

オロクン祭は今日もヨルバランドとエドの各地で営まれる。エド州ではウソニグベの社を中心に2月末に、ラゴス州では2002年以降、オロクン祭財団による大規模な祭が11月に開かれ、観光行事としても定着した。イレ・イフェではイロデ区の社が中心とされる。

イレ・イフェには《オリ・オロクン》を象った記念像が建てられ、イフェの頭部彫刻はナイジェリアにおいてアフリカ古代美術の達成を示す意匠として広く用いられてきた。フロベニウスが読み違えた一点の真鍮が、いまは自国の文化的達成を語る記号として使われている。

02

領分・別名

03

資料

Wikidata
Q1929840 — 骨格データの出典
Commons
Olokun — 図像カテゴリ