マヌ
ヴァイヴァスヴァタ・マヌ · サティヤヴラタ · シュラーッダデーヴァ
インド神話における人類の祖。大洪水をヴィシュヌの助けで生き延び、地上に生命を再生させたと伝えられている人物である。
解説
概要
マヌ(Manu / मनु)は、インド神話における人類の祖である。名は「人」を意味し、英語の man と同じ印欧語根に遡るとされる。大洪水をヴィシュヌの助けで生き延び、地上に生命を再生させたと伝えられる。プラーナ文献は一人ではなく十四人のマヌを立て、それぞれが一つのマンヴァンタラ(マヌの治世)を治めるとする。現在の世を治めるのが第七のヴァイヴァスヴァタ・マヌであり、洪水説話の主人公にあたる。
神話・物語
『リグ・ヴェーダ』は彼を「最初の祭祀者」ヴィヴァスヴァットの子とする。プラーナでは太陽神スーリヤ(ヴィヴァスヴァット)とサンジュニャーの子とされ、ヤマとヤミー、アシュヴィン双神、レーヴァンタが兄弟姉妹にあたる。
洪水説話は文献によって形を変える。『シャタパタ・ブラーフマナ』が伝える最も古い版では、手のなかへ飛び込んだ小さな魚が、飼ってくれれば洪水のときに助けると約束する。育てられた魚は海へ放たれ、数年後の洪水に際して現れ、角に舟をつないで北のヒマーラヤへ運んだ。地上でただ一人の人間となった彼は、子孫を得るため水に供物を捧げ続ける。一年後、水中から一人の女が現れ、自分は供物から生まれた彼の娘であると告げた。二人から地上に人があふれたという。『マハーバーラタ』では魚はブラフマーの化身とされる。
『バーガヴァタ・プラーナ』では魚がマツヤ、すなわちヴィシュヌの化身とされ、主人公は王仙サティヤヴラタとなる。彼が七人の聖仙とすべての種子を舟に乗せ、蛇王ヴァースキを綱として魚の角に結んで洪水を越えたのち、真理を悟って現在のカルパのヴァイヴァスヴァタ・マヌとなったと語られる。劫ごとに繰り返す帰滅の洪水と、ブラーフマナの伝える一度きりの大洪水とが、この版で結び合わされている。
図像と象徴
固有の像容はほとんど伝わっていない。図像に現れるとすれば、魚に牽かれる舟に立つ姿である。象徴となるのは舟であり、種子と知識を次の世へ運ぶ器として機能する。
系譜と関係
父はヴィヴァスヴァット(スーリヤ)、母はサンジュニャー。兄弟にヤマ、ヤミー、アシュヴィン双神。異母の兄弟姉妹として、影の分身チャーヤーの子シャニらがいる。彼の子孫がイクシュヴァーク王家、すなわち太陽種(スーリヤヴァンシャ)であり、ラーマはこの系統に連なる。娘イラーの子ブダの系統が月種(チャンドラヴァンシャ)となり、パーンダヴァはこちらに属する。二大叙事詩の王統はいずれも彼に発している。
文化的足跡
法典『マヌ・スムリティ』(マヌ法典)は彼の名を冠して伝わり、古代インドの社会規範を説く書として最も広く参照されてきた。ただし成立は紀元前2世紀から紀元後3世紀頃とみられ、神話上のマヌが著したものではない。近現代のインドでは、この法典が説く身分秩序をめぐって激しい論争が続いており、1927年にB・R・アンベードカルがこれを焼く抗議行動を行ったことはよく知られる。神話上の人類の祖という位置づけと、法典の内容をめぐる評価とは、区別して扱う必要がある。
洪水を生き延びて人類の祖となるという型は、メソポタミアや旧約聖書の洪水説話とも並行する。もっとも南アジアの版は、魚の助けと、供物から生まれる女という独自の要素をもつ。