クンバカルナ
クンバカルナ · クムパカーン · Kumbhakarṇa
『ラーマーヤナ』の羅刹。ラーヴァナの弟にあたる巨人で、半年眠り続ける呪いを負う。兄の非を悟りながら、なお兄の側に立って戦い討たれた。
解説
概要
叙事詩『ラーマーヤナ』に登場する羅刹(ラークシャサ)。ラーヴァナの弟で、名は「壺の耳」を意味する。山のような巨躯と底なしの食欲をもち、半年のあいだ眠り続けては半年目覚めるという生を送る。物語における役どころは単純な怪物ではない。兄の所業が誤りであることを見抜き、面と向かってそう告げながら、それでもなお兄の側に立って戦い、討たれる。忠義と正義とが食い違うときに人はどうするか——この問いを担わされた人物である。
神話・物語
三兄弟がブラフマーの恩恵を得るべく苦行を積んだとき、神々は彼の力を恐れた。インドラの求めに応じた女神サラスヴァティーが彼の舌を縛ったため、インドラの座(インドラーサナ)を求めるはずの言葉が眠りの座(ニドラーサナ)に置き換わったと語られる。神々の絶滅(ニルデーヴァトヴァム)と眠り(ニドラーヴァトヴァム)の取り違えとする異伝もある。願いは即座に容れられ、彼は眠りの底へ落ちた。兄の嘆願によって呪いは緩められ、半年ごとに目覚めることとなった。ヴァールミーキ本はこれをブラフマーの呪いとして直截に語り、サラスヴァティーの挿話は後代の再話に厚い。
戦況が傾いたとき、ラーヴァナは弟を起こすことを決めた。象の群れを体の上に歩かせ、法螺と太鼓を打ち鳴らし、山と積んだ食物を並べて、ようやく彼は目を覚ます。事情を聞いた彼は、まず兄を諫めた。ラーマはヴィシュヌの化身であり、シーターはラクシュミーの化身である、他人の妻を奪ったことがそもそもの過ちだ、と。兄が聞き入れないと知ると、彼は理を捨てて情を取る。
戦場での彼は圧倒的であった。猿の軍勢を薙ぎ倒し、スグリーヴァを捕らえ、ハヌマーンと打ち合う。ラーマの矢が一方の腕を、次いで他方の腕を落とし、脚を断たれてなお前へ出た。最後にインドラの武器(アストラ)が首を落とし、その首は城壁を砕きながら海へ落ちたという。弟の死を知ったラーヴァナは気を失い、目覚めてのち自らの破滅を悟った。
図像と象徴
図像の主題はほぼ一つ、「眠りから起こされる場面」に集約される。横たわる巨体、その上を歩く象、大きく開いた口、周囲に積まれた食物と酒——構図の要素は定型化しており、ムガル朝のフリーア・ラーマーヤナ(1597〜1605年)の一葉から、南インドの寺院浮彫、タイやインドネシアの影絵人形まで、同じ場面が繰り返される。巨大さを画面に収めるため、彼は横たわった姿で描かれるのが常であり、立像はほとんど作られない。
戦場の場面では、腕を落とされてなお進む姿が選ばれる。四肢を失いつつ止まらない身体は、彼の性格そのものの造形化といえる。判断は誤っていると知りながら足を止めない——その一貫性が、この人物を単なる怪物から引き離している。
系譜と関係
父は聖仙ヴィシュラヴァス、母は羅刹女カイカシー。兄にラーヴァナ、弟にヴィビーシャナ、妹にシュールパナカーがいる。妻ヴァジュラジュヴァーラーとのあいだにクンバとニクンバの二子をもうけ、いずれも同じ戦で死んだ。甥にインドラジット。
『バーガヴァタ・プラーナ』は、彼をヴィシュヌの門番ヴィジャヤの転生とする。四人のクマーラに呪われた門番ジャヤとヴィジャヤが三度の生を敵として送るという枠組みのなかで、ジャヤがラーヴァナに、ヴィジャヤがクンバカルナになったという説明である。
弟ヴィビーシャナとの対比が、この物語の要をなす。二人とも兄の非を諫め、二人とも容れられなかった。そこから一人は兄を捨てて敵に降り、一人は兄とともに滅んだ。叙事詩はいずれをも正しいとし、いずれもダルマの道から外れなかったと述べる。道徳的な難問に唯一の解を与えないことが、この一対の配置の意図である。
文化的足跡
秋のラームリーラーでは、ラーヴァナ、インドラジットと並んで彼の巨大な人形が焼かれる。三体のうちもっとも大きく作られることが多い。
眠りの深さは、南アジア一帯で慣用句となった。ヒンディー語をはじめとする諸語で「クンバカルナのように眠る」は長く目覚めない者を指す言い回しであり、この人物の名は日常語のなかに残っている。東南アジアの受容も厚く、タイの『ラーマキエン』ではクムパカーン、インドネシアの影絵芝居ワヤンではクンバカルナとして扱われる。とくにジャワの伝統では、彼は祖国のために死んだ者として解され、悪役の側から外して語られることが多い。