ヤロヴィト
ヤロヴィート · イェロヴィト · ゲロヴィト
ポラーブ・スラヴのヴォログォシチとハーフェルベルクで崇拝された神。黄金の盾を神殿に納め、戦のときにだけ持ち出した。ヘルボルトはこの神をローマのマールスに当てて説明している。
解説
概要
ヤロヴィト(Jarovit、ラテン語史料では Gerovit、Herovith)は、ポラーブ・スラヴのツィルツィパン族の町ヴォログォシチ(現ヴォルガスト)と、ハーフェルベルクで崇拝された神である。ラテン語の史料が ⟨ger-⟩ や ⟨her-⟩ と綴るのはスラヴ語の jar- を写したもので、古ポラーブ語形は *Jerovit と再建される。
神殿には黄金の板を張った大きな盾が納められ、戦のときにしか外へ出されなかった。ヘルボルトはこの盾について、「彼らの神ヤロヴィト、ラテン語ではマールスと呼ばれる神に捧げられたもの」と記す。異教の神をローマの神名で説明する処理が、この神については明示的に行われている。
神話・物語
典拠はバンベルクのオットー伝のうち、エボによるもの(1151年)とヘルボルトによるもの(1158〜59年)である。
1127年4月、バンベルク司教オットーはポメラニアへの二度目の布教に向かい、マクデブルクを経てハーフェルベルクに入った。町ではもはやキリスト教の名を持つ者がほとんどおらず、ヤロヴィトを祝う旗が飾られていた。5月、オットーは従者ウルリヒとアルビンをヴォログォシチへ送る。この町にヤロヴィトの名高い神殿があった。
これを聞いた異教の司祭は、神殿の装束をまとって町を出た。そして森で出会った住民の前に神ヤロヴィトとして現れ、キリスト教徒を殺さねば皆死ぬことになると町へ伝えよと命じたという。ヘルボルトの版では、神殿に隠れていたキリスト教側の司祭が、誰も触れてはならぬ黄金の盾を持ち出す。
このとき司祭の口を借りて語られたとされる神の言葉が、ヤロヴィトの性格をよく示している。私は汝らの神である、野を草で覆い林を葉で覆うのは私である、畑と木の実り、家畜の子、人の用に立つものはみな私の手にある——。軍神と呼ばれながら、その口から出るのは実りの話である。ウォミャンスキは、司祭が神になりすます筋書き自体を、異教の司祭を嘲るためにキリスト教側が作った話と見る。
オットーが居合わせた播種の祭は、4月15日頃に行われたと考えられている。
図像と象徴
ヴォルガストの聖ペトリ教会に、二枚の石板が伝わる。
一枚は86×46センチで、1920年に床下から見つかり、のちに壁に嵌め込まれた。長衣の男が両手を上げ、右手に槍を持つ姿が彫られ、頭上には後からマルタ十字が刻まれている。丘の上に立っているようにも見える。これが「ヤロヴィトの石」(Gerovitstein)と呼ばれるもので、本項の主画像である。
もう一枚は193×117センチで、腰から下に文様を施した長衣の男が右手に槍を持つ。その穂先はマルタ十字によって削られている。左手は腰の上に弧を描き、スラヴ時代の小像の姿勢と一致する。
これらの石がヤロヴィトを表すという保証はない。「ヤロヴィトの石」という呼び名は後世のものである。確かなのは、槍を持つ人物像の上に、あとから十字が刻み込まれたという事実だけである。打ち消された像が、打ち消したもののなかで保存されている。
系譜と関係
名の前半 jar- は、スラヴ祖語の形容詞 jarъ(jь)「力強い、荒々しい」あるいは jarъ「春の」に遡る。スラヴ祖語には神名と同音の語 *jarovitъ(jь) があり(ロシア語方言 yarovity、セルビア語 jarovit など)、これは前者を支持する材料になる。後半の -vit は「主、支配者、英雄」を意味する接尾辞と見られる。どちらの語義を採るかによって、「若き主」とも「強き主」とも訳される。
ギェイシュトルはヤロヴィトを明白な軍神と見て、神殿に守られた黄金の盾を、ローマのレギアに納められた盾と比べた。そのうえでこの神を、ペルーンのポラーブにおける現れと位置づけている。シイェフスキは太陽と軍事の性格に加えて、豊穣・収穫・若さの領分を認める。
東スラヴのヤリーロと結びつける説も根強い。語幹 jar- が共通し、祭の時期も4月15日前後で重なる。ギェイシュトル、テラ、ザロフがこれを支持する。ただしヤリーロの記録は1765年に主教が民俗行事を禁じた記述が初出であり、そもそも神であったかどうかから争われている。ウォミャンスキ、ウルバンチク、ストシェルチクは両者の関係を疑う。
スヴェントヴィトと同一の神とする説もある。ブリュクナーは jarъ(jь) と svętъ がかつて同義で「強い」を意味し、*svętъ がキリスト教の影響で「聖なる」に転じたと考えた。したがって二つの神名は同じことを言っており、ヤロヴィトが先にあってルギア人がのちにスヴェントヴィトに置き換えたのだという。ウルバンチク、ウォミャンスキ、ザロフも両者の近縁を認める。ただし二語が同義であったという前提そのものは、現在の研究では支持されていない。
文化的足跡
ポラーブの神々のなかで、ヤロヴィトはトリグラフやスヴェントヴィトほど知られていない。しかし、神殿に納められた黄金の盾と、播種の祭という具体的な細部が残る点で、史料としての価値は劣らない。
ヴォルガストの聖ペトリ教会は、いまも二枚の石板を掲げている。異教の神の像であったかもしれないものが、それを打ち消した教会の壁のなかで八百年以上のあいだ保たれてきたことになる。「ヤロヴィトの石」という呼び名も、その両義的な来歴ごと現地に定着している。