スネグーラチカ
スネグールカ · 雪娘 · 雪姫
雪から作られて命を得た娘。火か愛に触れて溶け消える。19世紀のロシア民話に現れ、戯曲とオペラを経て、1935年以降ジェド・マロースの孫娘として定着した。
解説
概要
スネグーラチカ(Снегурочка、指小形。スネグールカとも)は、雪から作られて命を得た娘である。日本語では雪娘、雪姫と訳される。現在はジェド・マロースの孫娘として新年の祝いに現れるが、この関係が定まったのは1935年以降である。
古いスラヴ神話にこの少女の居場所はない。ロシアの民話に姿を現すのは19世紀になってからで、そこから戯曲とオペラを経て国民的な形象になった。四代にわたって作り替えられてきた、比較的新しい存在である。
神話・物語
昔話の型としては、アールネ=トンプソン分類703*「雪娘」にあたる。母親が雪片を呑んだせいで身ごもったと言い繕う「雪の子」(1362番)の型とも近い。
アファナーシエフが1867年から翌年にかけて刊行した『スラヴ人の詩的自然観』第2巻に、スネグールカ(スネジェヴィノチカ)の話が収められている。子のない農夫イヴァンとマリヤが雪だるまを作ると、それが娘になって動きだす。娘はまたたく間に育つ。やがて村の娘たちが森へ誘い、そこで小さな火を焚いて代わるがわる跳び越えはじめる。スネグールカの番が来て跳ぶと、半ばまで届いたところで小さな雲になって消えてしまう。異文では、これは洗礼者ヨハネの祭(クパーラの夜)の習俗として語られる。火を跳ぶ習俗の由来譚が、そのまま雪の娘の消滅譚になっている。
別系統の筋では、彼女はヴェスナ・クラスナ(麗しき春)とジェド・マロースの娘である。人の世に憧れ、羊飼いレーリを好きになるが、その心は愛を知らない。母が憐れんで愛する力を与えると、恋に落ちたとたんに心が温まり、溶けて消える。オストロフスキーの戯曲『雪娘』(1873年)がこの形を与えた。
いずれの筋でも、彼女は火か愛のどちらかによって溶ける。雪でできているという一点が、そのまま運命になっている。
図像と象徴
長い銀青の衣、毛皮の縁取りをした帽子か雪片の形のココシニク、白く輝く髪。この定型はオストロフスキーの戯曲とリムスキー=コルサコフのオペラ、そしてそれらの舞台装置から生まれた。
本項の主画像は、ヴィクトル・ヴァスネツォフが1899年に描いた《雪娘》である。もともとは1885年の私設歌劇場上演のための衣装と舞台の仕事から発展したもので、雪の森に立つ少女という図像を決定づけた。ミハイル・ヴルーベリ、ニコライ・レーリヒ、コンスタンチン・コローヴィンも同じ主題を扱っている。19世紀末のロシア美術が、この形象を一気に作り上げたことが分かる。
系譜と関係
系譜は作品ごとに違う。昔話では雪だるまから生まれた農夫夫婦の娘、オストロフスキーでは春と霜の娘、ソヴィエト期以降はジェド・マロースの孫娘である。「娘」から「孫娘」への変更がいつ誰の判断で行われたかははっきりしないが、老人と少女を祖父と孫として並べるほうが、新年の祝いの場では扱いやすかったのだろう。
東スラヴ以外に対応する少女はいない。アルメニアのズユナヌシク(雪の愛し子)、アゼルバイジャンのカル・クズ(雪の娘)などは、いずれもロシア帝国とソ連を通じて広がった翻案である。西欧のクリスマス伝承に、サンタクロースの孫娘にあたる存在はない。
文化的足跡
1878年、ミンクスの音楽とプティパの振付でバレエ『雪の娘』が帝室バレエによって上演された。1880年から翌年にかけてリムスキー=コルサコフが作曲したオペラ『雪娘――春のおとぎ話』は大成功を収め、この形象を国外にまで知らせた。ソ連期には1952年のアニメーション映画と1968年の実写映画が作られている。
帝政末期には、スネグーラチカの人形がクリスマスツリーの飾りになり、少女たちが扮装して戯曲やオペラの一場面を演じた。この時点ではまだ脇役である。主役の一角に加わったのは、新年の祝賀が公認された1935年で、ジェド・マロースと初めて共演したのは1937年初頭、モスクワの「同盟の家」での催しであった。
現在のロシアでは、新年の子ども向けの催しに欠かせない存在になっている。会場では、子どもたちが名を呼ぶ声に応えて登場するのが決まりである。2020年には、ロシア向けの広告にジェド・マロースとスネグーラチカではなくサンタクロースを起用したとして、飲料会社を提訴した人物が話題になった。
雪から生まれ、火に触れて消える娘という主題は、スロヴェニアの詩人スヴェトラーナ・マカロヴィチのバラード(2012年)など、国外の作家にも取り上げられている。