吸血鬼
ヴァンパイア · バンパイア · ヴァンピール
東南ヨーロッパの民間伝承に由来する不死の死者。墓から起き上がり、生者の血を奪うとされた。18世紀ハプスブルク領での騒動を通じて西欧に知られ、のちに文学がその姿を一変させる。
解説
概要
吸血鬼(вампир / vampire)は、死んで葬られたのち墓から起き上がり、生者の血や生命力を奪うとされた存在である。血を吸う怪異の伝えは世界各地にあるが、今日「吸血鬼」と呼ばれるものの直接の出所は、18世紀初頭の東南ヨーロッパ——バルカンと南スラヴ語圏——の民間伝承にほぼ限られる。
語は南スラヴ語のヴァンピル(вампир)に遡り、フランス語 vampyre、ドイツ語 Vampir を経て英語に入った。同源の語はスラヴ語圏に広く分布する(ポーランド語 upiór、ロシア語 упырь、チェコ語 upír)。リトアニア語やトルコ語 uber(魔女)に起源を求める説もあるが、南スラヴ語からの伝播とする見方が定説である。英語の文献に現れるのは18世紀、東欧の騒動が報じられた時期にあたる。名が先にあって伝承が広まったのではない。事件が名を運んだ。この項目はスラヴ神話の下に置くが、バルカンの非スラヴ語圏にも並行する伝承があり、スラヴ語圏に閉じるわけではない。
登場する物語
民間伝承の吸血鬼は、現代の造形とほとんど似ていない。痩せて青白いどころか、膨れ、赤黒く、口や鼻から血がにじんでいるとされた。牙は一般的な特徴ではない。夜に動くとは考えられていたが、日光で滅びるという条件はない。屍衣をまとい、墓のなかから咀嚼の音を立てる。これらは、腐敗の進行——腐敗ガスによる膨張、血液の滲出、皮膚の退縮による歯や爪の露出——を、その仕組みを知らない人々が観察した記録として読める。
吸血鬼になる条件は多様だった。自殺者、魔女、破門された者。予防には遺体を伏せて埋め、鎌や鋭利な物を副葬し、墓に芥子粒や粟をまいて、数える性癖につけ込み夜を潰させた。処置も地域で分かれ、南スラヴでは心臓に杭を打ち、ドイツと西スラヴでは斬首して頭を足のあいだに埋め直した。
決定的だったのは18世紀のハプスブルク領での出来事である。1718年のパッサロヴィッツ条約でセルビア北部を得た帝国は、この地を軍政下に置いた。1725年、キシリェヴォ村のペタル・ブラゴイェヴィッチが死後に村人を襲ったとされ、遺体が掘り出されて杭を打たれる。1731年から32年にかけては、メドヴェジャ村で同種の騒ぎが起こった。数年前に死んだ元ハイドゥク、アルノルト・パウレ(同時代文書の綴りは Arnont Paule。セルビア語名をアルナウト・パヴレと復元する説がある)が発端とされ、軍医ヨハン・フリュッキンガーが派遣される。その報告書『ヴィスム・エト・レペルトゥム』は、掘り出した遺体の状態を淡々と列挙し、複数の将校の署名を添えて提出された。民話の採集ではない。国家の調査報告として書かれている。
これが西欧で翻訳・転載され、「吸血鬼論争」が始まった。啓蒙の世紀のただなかで、少なくとも十六篇の論考がこの問題を神学と自然哲学の観点から論じた。1746年、ベネディクト会士オーギュスタン・カルメは吸血鬼と亡霊についての大部の論を刊行し(1751年に増補改題)、証言を集めたうえで判断を保留する。ヴォルテールはこれを一笑に付し、自ら「吸血鬼」の項を書いて、血を吸っているのは墓の死者ではなく生きた人間のほうだと皮肉っている。決着をつけたのは行政である。マリア・テレジアは侍医ゲラルト・ファン・スウィーテンを派遣し、その報告を受けて墓の発掘と遺体の損壊を禁じた。国家が、吸血鬼を存在しないものと定めたのである。
図像と象徴
伝承の吸血鬼には、定まった図像がなかった。神殿彫刻も壺絵もない。姿が決まるのは、これが書物と舞台と映画の主題になってからである。18〜19世紀の版画は、コラン・ド・プランシー『吸血鬼と害ある亡霊の歴史』(1820年)の口絵のように、墓場・骸骨・亡霊という当時の怪異画の語彙で描いた。血を吸う怪物というより、墓から出てくる死者の図である。
牙、蝙蝠、黒マント、棺、鏡に映らない姿——これらはすべて19世紀以降の発明である。蝙蝠との結合は、中南米の吸血コウモリが西欧に知られてからのことで、伝承が先にあったのではない。鏡に映らないという設定はブラム・ストーカー『ドラキュラ』(1897年)の創案とされる。立てた襟の黒マントは、舞台で吸血鬼を消す仕掛けに必要だった衣装に由来する。
ムルナウ《吸血鬼ノスフェラトゥ》(1922年)の、禿頭で鼠のような歯をもち鉤爪を伸ばす造形は、貴族的な系統から外れた例である。だがこの映画が決定的だったのは別の点においてで、日光を浴びた吸血鬼が消滅する場面を作ったのはこの作品である。原作にあたるストーカーの小説では、吸血鬼は日中に力を失うだけで灰にはならない。今日ほとんどの人が知る「吸血鬼の弱点」は、一本の映画の演出だった。
関係する神格・退治した英雄
伝承の吸血鬼は神格ではなく、体系だった神話のなかに位置を持たない。近い存在としては、ギリシアのヴリコラカス、ルーマニアのストリゴイ、アルバニアのシュトリガ、そして吸血鬼と人の混血で吸血鬼を見分けるとされたダンピールが挙げられる。古代の血を吸う怪異——ギリシアのラミアーやエンプーサ、メソポタミアの女悪霊——はしばしば先駆として並べられるが、直接の系譜があるわけではない。中国の殭屍を「中国の吸血鬼」と呼ぶのも、西洋からの投影である。
退治する側にも、伝承には英雄がいない。杭を打つのは村人であり、ときに軍医と行政官である。吸血鬼ハンターという役柄は、ストーカーがヴァン・ヘルシング教授を書いてから成立した。ただしスロヴェニアとイストリアには、白い羊膜をかぶって生まれ、獣の姿でクドラクと戦うとされたクルースニクの伝えがある。
文化的足跡
文学の系譜は、ジョン・ポリドリ「吸血鬼」(1819年)に始まる。バイロンを模したというルスヴン卿の造形が、農民の膨れた屍を貴族の青年に置き換えた。廉価な連載小説『吸血鬼ヴァーニー』(1845〜47年)が首筋の二つの傷という細部を広め、ジョゼフ・シェリダン・レ・ファニュ『カーミラ』(1872年)が女性の吸血鬼と同性への欲望を持ち込んだ。『ドラキュラ』はこれらの後に書かれた作品でありながら、型を決定づけている。ストーカーが実在のワラキア公ヴラド3世から借りたのは異名だけで、その伝記ではない。
日本語の「吸血鬼」という訳語の定着については、南方熊楠の造語とする説が長く唱えられてきたが、それより早い用例が確認されており、決着していない。医学の側では、1985年にポルフィリン症を吸血鬼伝承の起源とする説が報じられて大きく広まったが、現在では支持されていない。腐敗の観察という説明のほうが、掘り出された遺体の記録とはるかによく合う。
現代の映画・ゲーム・漫画で吸血鬼は最も使い回された怪物の一つだが、そこに出てくるのは18世紀の膨れた屍ではない。19世紀の文学と20世紀の映画が作り上げた貴族である。