ジャムシード
ジャム · ジャムシェード · イマ
イランの伝承に語られるピーシュダード朝の王。人に技術と暦を与えて黄金時代を築いたが、驕って神授の光輝を失い、ザッハークに討たれた。アヴェスターのイマに遡る。
解説
概要
ジャムシード(ペルシア語 جمشید)は、イランの伝承に語られる王である。『シャー・ナーメ』ではタフムーラスの子、ピーシュダード朝の第四代の王とされ、その原型はアヴェスターのイマ・フシャエータ(「輝けるイマ」)に遡る。名はイマとフシャエータ(輝く)の合成で、規則的な音変化を経て中期ペルシア語のジャム、新ペルシア語のジャムシードとなった。
イマはサンスクリットのヤマと同源で、いずれも「双子」と解される。父の名ウィーワンハントも、ヴェーダの太陽神の別名ヴィヴァスヴァットに対応する。インドのヤマが死者の王となったのに対し、イランのイマは地上の王となった。同じ神話素が二つの方向へ展開した例としてしばしば引かれる。
神話・物語
『ウェンディーダード』第2章が伝えるイマは、まずアフラ・マズダーから法を託されるが、これを断る。代わりに与えられたのは、大地を治め、生きるものを栄えさせよという務めであった。黄金の印と黄金を象嵌した短剣を授かって、彼は三百年を治める。人と家畜と鳥が地に満ちると、彼は南へ向かって印を大地に押し当て、スプンタ・アールマティに呼びかけて地を押し広げてもらう。同じことが六百年後、さらに九百年後にも繰りかえされた。
やがてアフラ・マズダーは、山の頂に厚く雪を積もらせる激しい冬の到来を告げ、ワラ(囲い)を築くよう命じる。二マイル四方の多層の地下の囲いに、もっとも優れた男女と、あらゆる動物・鳥・植物の種を二つずつ収め、前の夏に集めた水と食糧を備えよという。イマは足で大地を踏み砕き、陶工が粘土をこねるようにこれを形づくった。街路と建物を設け、人工の光を灯し、最後に黄金の環で囲いを閉じる。ノルベルト・エッティンガーは、この厳冬をもとは洪水とみて、原型は洪水神話であったと論じている。北欧の原初の巨人ユミルが同じ語根に連なり、その死が大洪水を招いたと語られることも、この議論の材料とされる。
『シャー・ナーメ』のジャムシードは、文明そのものを人に与えた王である。武具と兵器の製作、亜麻と絹と羊毛の織りと染め、煉瓦の家、宝石と貴金属の採掘、香料、酒、医術、船による航海——そのいずれもが彼に帰される。人を祭司・戦士・農民・工匠の四つに分けたのも彼だとされる。神授の光輝フワルナフを帯びた彼が、宝石をちりばめた玉座を魔たちに担がせて空を飛んだ日が、ノウルーズの起こりとされた。七つの輪をもつ杯ジャーム・エ・ジャムを覗けば、世界のすべてが見えたともいう。
だが権力とともに驕りが育つ。彼は、この繁栄がことごとく自分ひとりに発すると民に告げ、創造主のごとく崇められることを求めた。その時から光輝は彼を離れる。悔いても戻らなかった。アラブの王ザッハークがアンラ・マンユにそそのかされて攻め入ると、不満を抱いた民の多くが迎え入れた。ジャムシードは世界の半ばまで逃れたが捕らえられ、鋸で二つに断たれて殺される。七百年の治世ののち、人は文明の高みから暗黒時代へ落ちた。
図像と象徴
写本挿絵に繰りかえし選ばれた場面は二つある。玉座に坐して技を人に教える宮廷の場面と、鋸で断たれる最期の場面である。本サイトが主画像に掲げるのは、サファヴィー朝のシャー・タフマースブ本『シャー・ナーメ』の一葉「ジャムシードの宮廷」(タブリーズ、1525–30年頃)で、王を頂点に、鍛冶・織り・建築に従う人々を段状に配し、文明の始まりを一枚の画面に収めている。
呼び名にも図像に近い働きがあった。ペルセポリスの遺跡は17世紀に至るまでタフテ・ジャムシード(ジャムシードの玉座)と呼ばれ、近くの岩窟墓はナクシェ・ロスタム(ロスタムの像)と呼ばれた。いずれもアケメネス朝とサーサーン朝の遺構であって伝承の人物とは関わりがないが、遺跡に神話の名を与える営みが、王の記憶を土地に結びつけていた。
系譜と関係
父はウィーワンハント(ペルシア語でウィーヴァンガハーン)。二人の娘はザッハークに奪われ、のちにフェリドゥーンがザッハークを倒して彼女たちを救い出す。フェリドゥーンはジャムシードの血を引く者とされ、断ち切られた正統がこの英雄によって回復される筋になっている。
文化的足跡
ジャーム・エ・ジャムはペルシア詩の常套の像となり、ハーフィズやウマル・ハイヤームが繰りかえし詠んだ。インドのゾロアスター教徒の暦では、ファルワルディーン月の第1日を今日もジャムシェーデ・ノウルーズと呼ぶ。葡萄酒の発見をこの王の宮廷に置く後代の説話もあり、酒と暦と文明の記憶が、この王の名のもとに集まっている。