ザッハーク
ザハーク · アジ・ダハーカ · ダハーグ
イランの伝承に語られる暴君。両肩から生えた黒い蛇に人の脳を与え、千年にわたって世を苦しめた。アヴェスターでは三つの頭をもつ邪竜アジ・ダハーカとして現れる。
解説
概要
ザッハーク(ضحاک Zahhāk)は、イランの伝承に語られる暴君である。ゾロアスター教の聖典アヴェスターでは三つの口と三つの頭、六つの目をもつ邪竜アジ・ダハーカとして現れ、フェルドウスィーの叙事詩シャー・ナーメでは、両肩から黒い蛇を生やした人間の王として描かれる。竜から王への造形の変化は、イスラーム期にイランの神話が英雄譚として語りなおされた過程をよく示している。
登場する物語
アヴェスターのアジ・ダハーカは、狡知にたけた最大の邪竜である。バウリ——のちにバビロンと解された——の砦に拠り、水の女神アナーヒターと風の神ヴァユに供犠して、世界を人なきものにする力を求めたが、両神はこれを拒んだ。竜はやがて英雄スラエータオナ、新ペルシア語でフェリドゥーンに討たれ、囚われていた二人の女が解放される。
『シャー・ナーメ』の筋書きは大きく異なる。ザッハークはアラブの王マルダースの子で、悪魔にそそのかされて父を落とし穴に落として殺し、王位を奪う。悪魔はつぎに料理人として仕え、肉料理で王を悦ばせた褒美に両肩への口づけを願う。口づけの跡から二匹の黒い蛇が生え、切っても切っても生えかわった。医者に化けた悪魔は、日に二人の人間の脳を与えるほか鎮める道はないと教える。この誘惑者を『シャー・ナーメ』はイスラーム期の悪魔の名でイブリースと呼ぶが、ゾロアスター教の伝承ではアンラ・マンユ(アフリマン)の子とされる。異なる時代の悪の名が、同じ役どころに置かれている。
やがてザッハークは、驕りによって神授の光輝フワルナフを失った王ジャムシードを鋸で挽き殺し、千年にわたって世を治める。毎日二人の若者が蛇の餌として殺された。厨房を任された二人の男が、犠牲者の一人を逃がして羊の脳ですりかえたという挿話があり、逃れた者たちの子孫がクルド人だと語られる。
終わりは夢から始まる。三人の戦士に打ち倒される夢を占わせたザッハークは、フェリドゥーンの名を知って国中を探させた。子を奪われつづけた鍛冶屋カーヴェが革の前掛けを竿に掲げて反旗をひるがえし、民を率いたフェリドゥーンが牛頭の棍棒でこれを打ち据える。ただし天使スラオシャが殺すことを禁じたため、ザッハークはダマーヴァンド山に鎖でつながれた。世界の終わりに彼は鎖を断ち、人と家畜の三分の一を貪ったのち、よみがえった英雄ガルシャースプに討たれるとされる。
図像と象徴
ザッハークを一目で見分けさせるのは両肩の黒蛇である。細密画では、玉座に座る王の肩から二匹の蛇が鎌首をもたげ、その顔が王の顔と同じ高さに並ぶ。本サイトが掲げるのはサファヴィー朝のシャー・タフマースブ本『シャー・ナーメ』の一葉で、ミール・ムサッヴィルの作とされる。金と群青で埋めつくされた宮廷の意匠のただなかに怪異を置く構図は、この写本の画家たちが得意としたものである。
物語の道具立てもまた図像の主題となった。フェリドゥーンの牛頭の棍棒は、彼に乳を与えた牝牛バルマーイェの姿にちなむ。鍛冶屋カーヴェの革の前掛けは宝玉で飾られて王旗ダラフシェ・カーヴィヤーニーとなり、サーサーン朝の軍旗の由来として語られた。一方、本性であるはずの三頭の竜アジ・ダハーカを描いた古代の図像は残っていない。この暴君の姿を決めたのは、聖典ではなく写本の絵師たちである。
関わる伝承
ザッハークの物語は、英雄が多頭の竜を討つという印欧語族に広く分布する型に属する。ヴェーダで三頭のヴィシュヴァルーパを討つトリタ・アープティヤと、アジ・ダハーカを討つスラエータオナ・アースウィヤは、名も筋書きも対応する。アジ・ダハーカの名はアルメニアのアジュダハクとなり、ペルシア語で竜を意味する普通名詞アジュダハーを生み、バルカン・スラヴ語圏のアジュダヤにまで及んだ。固有名が普通名詞に転じたという点で、竜の名としては例外的な広がりをもつ。
文化的足跡
ダマーヴァンド山の噴気は、鎖につながれた暴君の吐息だと語られてきた。圧政の象徴としての力は現代にも及び、1979年のイラン革命では、国王を両肩から蛇を生やした姿に描いたポスターが街に貼られたと伝えられる。日本でも竜王ザッハークの名で小説やゲームに登場し、その名を通じてイランの叙事詩に触れる読者は少なくない。
領分・別名
親・配偶者・子までを表示(全体はフル系図ページへ)。実線=主要伝承/点線=異伝・別系統。