風神
ふうじん · シナツヒコ · 志那都比古神
日本の風の神。虎の皮をまとった鬼が大袋から風を吹き出す姿で知られる。この造形はギリシアの北風神ボレアスに遡り、シルクロードを経て日本に届いた。
解説
概要
風神(ふうじん)は、日本で風を司る神。虎の皮をまとった鬼形の神が、両肩に渡した大袋の口を握り、そこから風を吹き出す姿で広く知られる。ただしこの造形は仏教美術を介して大陸から伝わったものであり、記紀が伝える在来の風の神とは系統を異にする。『古事記』『日本書紀』の風神はシナツヒコであって、鬼の姿はとらない。国家の祭祀としても、龍田の風神として古くから朝廷の奉幣を受けてきた。日本語で「風神」と呼ばれるものは、この二つの流れが重なった位置に立っている。
神話・物語
『古事記』は、イザナギとイザナミの神生みの段で「風の神、名は志那都比古神」が生まれたと記す。『日本書紀』は同じ神を神代第五段の一書(第六)に置き、イザナミが朝霧を吹き払った息から級長戸辺命、またの名を級長津彦命という神が生まれ、これが風の神であるとする。名の「シナ」は息の長さを指すという解がある。生成の経緯も性別の扱いも両書で揺れており、風の神が単一の像を結ばないことは、記述の段階からすでに現れている。
祭祀の面では、風神は龍田に祀られた。正史の初見は『日本書紀』天武天皇4年(675年)の、勅使を遣わして風神を龍田立野に祀らせたという記事である。以後この祭は毎年繰り返され、『延喜式』は四時祭のうちに風神祭を数えて4月4日と7月4日に行うと定めた。龍田大社(奈良県三郷町)の祭神は天御柱命・国御柱命で、同社の祝詞はこれを級長津彦命・級長戸辺命に当てている。風は稲の実りを左右する。風神祭とは、五穀を損なう暴風を鎮めるための国家の祭であった。
鬼形の風神が文献に現れるのは、これよりずっと下る。『太平記』は、元寇のとき伊勢神宮の風宮に青い鬼神が現れ、袋から大風を起こしたと語る。少なくとも十四世紀には、青鬼の姿で風袋を担ぐ風神像が定着していたことになる。
民間では、風は病を運ぶものでもあった。「風邪」の表記は、風に乗って人の体に入り込む邪気という観念に由来するとされる。江戸時代には流行のたびに藁人形を仕立て、囃しながら村境の外へ送り出す「風の神送り」が行われた。
図像と象徴
風袋を担ぐ風神の姿は、日本で生まれたものではない。松本栄一の研究以来、キジル・クムトラなど西域の石窟に描かれた風神が大きな布を広げて走る姿を示すこと、それがバーミヤンからガンダーラの美術に連なり、さらにギリシアの北風神ボレアスにまで遡ることが指摘されてきた。中間形はクシャーナ朝の貨幣に残る。カニシカ1世期の金貨には有翼の神が布をひるがえす図とともにギリシア文字で「アネモス」と刻まれ、同じ王の銅貨やフヴィシュカ期の貨幣では、ほぼ同じ構図から翼が消えて「オアドー」と記される。東方の風神に翼がないのはこの変化によるという説がある。中国では風伯・風師と呼ばれ、そこから日本の風神へ至った。もっとも、布がはっきりと袋の形をとるのは6世紀から8世紀の中国においてであって、『オデュッセイア』でアイオロスがオデュッセウスに与えた牛皮の風袋との直接の関係は認めがたい、とする見方もある。
風神と雷神を一対にする組み合わせを日本に定着させたのは、平安時代後期から鎌倉時代にかけて流行した二十八部衆の群像である。両神はここで千手観音の眷属として堂内の端に置かれた。現存最古の作例は蓮華王院(三十三間堂)の木造風神・雷神像(鎌倉時代、国宝)で、慶派の仏師の手になるとみられる。風神は袋を両肩に渡してその口を握り、対する雷神は連鼓を背に負う。
この図像を仏の眷属から独立した絵画主題へ引き上げたのが、俵屋宗達の風神雷神図屏風(国宝、建仁寺蔵)である。宗達は伝統的に青く塗られる風神の体を緑に変え、金地の右端ぎりぎりに配した。尾形光琳が忠実な模写を残し、酒井抱一がさらに光琳本を写して、琳派を貫く主題となった。
系譜と関係
記紀の風神シナツヒコはイザナギ・イザナミの子であり、系譜のうちに位置づけられる。これに対し、鬼形の風神には親も子も語られない。後者が属するのは仏教の天部で、十二天の一である風天は、インドの風神ヴァーユとヴァータを取り込んだものである。日本の風神像は、この天部の系譜と在来の風の神とが習合した結果として立っている。
雷神とは造形の上でも祭祀の上でも対をなす。雨を呼ぶ雷と、雲を運ぶ風は、農耕にとって表裏の力だからである。世界各地の風・嵐の神との横断的な比較は嵐・風の神が受け持つ。
文化的足跡
龍田大社では今日も夏に風鎮大祭が営まれる。東北から北陸にかけては、風三郎・風の又三郎と呼ばれる半ば妖怪めいた風の神が各地の社に祀られてきた。宮沢賢治の『風の又三郎』とその先駆作『風野又三郎』は、この土地の風神から材を採っている。
美術の側では、宗達の屏風が近代以降に評価を高め、その構図は装丁や意匠に繰り返し引かれてきた。現代の漫画・ゲームにも風神は登場するが、そこで描かれるのはおおむね宗達以来の鬼形であって、記紀のシナツヒコではない。