風伯と雨師
ふうはく · うし · 飛廉
中国の風と雨の神。風伯は飛廉とも呼ばれ箕宿に、雨師は屏翳・赤松子とも呼ばれ畢宿に配される。蚩尤の側について暴風雨で黄帝軍を苦しめたが、旱の神魃に破られた。日本の風神が袋を担ぐ図像の源流。
解説
概要
風伯(ふうはく)と雨師(うし)は、中国の風と雨の神である。飛廉、屏翳とも呼ばれる。
風伯
風伯は風の神である。飛廉の名でも呼ばれ、鹿の身体に鳥の頭、蛇の尾を持つ獣として描かれることがある。
星宿では箕宿(いて座の一部)に配される。箕は穀物を選り分ける道具であり、風を起こすことから風の神と結びつけられた。
雨師
雨師は雨の神である。屏翳、あるいは赤松子の名でも呼ばれる。
赤松子は神農の時代の雨師で、水玉を服して火に入っても焼けず、崑崙山に至って西王母のもとに住んだという仙人である。雨師と仙人の伝承が重なっている。
星宿では畢宿(おうし座の一部)に配される。『詩経』に「月、畢に離れば、俾ち滂沱として雨ふらん」とあり、月が畢宿にかかると雨が降るという観念があった。
蚩尤との関係
『山海経』において、風伯と雨師は蚩尤の側について黄帝と戦った。暴風雨を起こして黄帝軍を苦しめたが、黄帝が旱の神である娘の魃を呼んで雨を止ませたため敗れた。
気象を操ることが、そのまま戦力になるという構成である。
図像と象徴
固有の図像は伝わらず、本サイトも主画像を掲げない。
風を袋から出す姿、雨を器から注ぐ姿で描かれることがある。日本の風神が袋を担ぐのは、この図像の系譜に連なる。
関わる神格・伝承
雷公、電母と気象の神々をなす。蚩尤に味方した。
日本の風神雷神図の風神は、風伯の系譜を引く。
文化的足跡
歴代王朝は風伯・雨師を国家祭祀の対象とし、都に風伯壇・雨師壇を設けた。農耕国家において、風雨の神は国家の祭祀に不可欠であった。
なお中国の民間信仰と道教は今日も継承されている生きた信仰であり、本項の記述はその神格の伝承と図像に関する学術的な整理である。