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荼枳尼天
PLATE — 荼枳尼天
DHARMA · 仏教の尊格
荼枳尼天

荼枳尼天

だきにてん · ダーキニー · 荼吉尼天

土佐秀信『増補諸宗仏像図彙』(1783年)荼枳尼天図 PUBLIC DOMAIN

インド由来の仏教の天部。もと人肉を食らう魔女だったが調伏され、日本では白狐に乗る姿で稲荷や飯縄権現と習合し、現世利益の神となった。

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解説

概要

荼枳尼天(だきにてん)は、仏教の天部の一。梵語ダーキニー(Ḍākinī)の音訳で、荼吉尼天、吒枳尼天とも書く。「天」を付すのは日本特有の呼び方で、中国の仏典では荼枳尼とのみ記される。もとインドで人肉を食らう魔女の類であったが、大黒天(大日如来の化身)に調伏されて仏法に帰依したとされる。日本では白狐に乗る天女の姿で表され、稲荷飯縄権現と習合して、絶大な現世利益をもたらす尊格となった。福を授ける相と、契約を違えれば祟る相とをあわせ持ち、その力を求める修法はしばしば外法と呼ばれて畏怖された。

由来と物語

起源であるインドのダーキニーは、裸身で虚空を駆け、人肉を食う女鬼とされる。ヒンドゥー教では女神カーリーの眷属で、尸林(死体を捨てる林)をさまよって屍肉を食らう夜叉女であった。仏教に取り込まれたのち、その性格は大きく変えられる。

中期密教は、この魔女を仏道へ導く説話を生んだ。大黒天が尸林に荼枳尼を召し集め、降三世の法門によって降伏させて仏道に帰依させた。荼枳尼は自在の通力を持ち、人の死を六か月前に知り、死ぬまでその人を加護し、死の直後に心臓を取って食べることを許されたという。人には「人黄」という生命力の源があり、それが荼枳尼の呪力の元だとされた。

日本へは平安初期に空海が伝えた。当初は胎蔵曼荼羅の外金剛院に、閻魔天の眷属をなす奪精鬼として配され、半裸で血の器や短刀を手にする姿であった。時代が下ると、この姿は白狐にまたがる女天の形へと変化し、「荼枳尼天」と呼ばれ、辰狐王菩薩・貴狐天王とも尊称されるようになる。中世には天皇の即位灌頂で荼枳尼天の真言を唱えるようになり、金銀の辰狐像を左右に祀ったとする文献もある。『源平盛衰記』は、平清盛が狩りの途中で貴狐天王に出会い、その修法を行うか迷う場面を伝える。

図像と象徴

日本の荼枳尼天の姿は、白狐に乗る天女に定まった。剣、宝珠、稲束、鎌などを持物とする。本項に掲げるのは土佐秀信『増補諸宗仏像図彙』(1783年)の荼枳尼天図で、飯縄権現図と同じ版本に収められている。半裸で屍肉を手にした本来の忿怒の姿から、狐に乗る優美な天女へ——この図像の変化そのものが、魔女が福神へと転じた歴史を映している。

象徴の核にあるのは、狐である。狐は古くから、古墳や塚に巣穴を作り、時に屍を食い、人の死など未来を知って告げると考えられてきた。屍肉を食らい人の死を予知する荼枳尼と、狐のこの性格とが重なり合い、両者は分かちがたく結びついた。狐との結合が、荼枳尼天を日本の稲荷信仰へと導く鍵となる。福と祟りの両義性も、この狐の二面性——豊穣を告げる使いであり、人を化かす獣でもある——と響き合っている。

系譜と関係

仏教の天部に属し、記紀の系譜には位置を持たない。インドではカーリーの眷属、日本の密教では閻魔天の眷属として現れる。大黒天に調伏されたという説話が、その仏教内での位置を定めている。

日本における最も重要な関係は、稲荷との習合である。狐を介して稲荷と一体視され、稲荷権現・飯縄権現と同一視された。飯縄権現に用いる「オン キリカク」の真言は、荼枳尼を調伏した際に授けられた真言に由来する。狐を眷属とする飯綱の憑き物信仰とも、同じ狐の系譜のうえで地続きをなす。

文化的足跡

戦国時代には、各地の武将が城の鎮守稲荷として荼枳尼天を祀った。怨敵退散と戦勝を祈願する城の稲荷は、その大半が荼枳尼天であったと考えられている。近世には憑き物落とし、病気平癒、開運出世の福徳神として広く信仰され、豊川稲荷(妙厳寺)、最上稲荷(妙教寺)、伏見稲荷本願所(愛染寺)などがその中心となった。

明治の神仏分離は、この信仰に大きな打撃を与えた。全国に荼枳尼天を勧請していた愛染寺は廃寺となり、伏見稲荷での荼枳尼天祭祀は途絶えた。荼枳尼天を祀っていた稲荷社の多くも、宇迦之御魂神を祭神とする神社へと姿を変えた。ただし豊川稲荷や最上稲荷のように、寺院として神仏分離を免れ、今日まで荼枳尼天を本尊として信仰を集める例も残る。福を求める人々の篤い信仰は、魔女から福神へというこの尊格の長い変容の、最も新しい層をなしている。

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領分・別名

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資料

Wikidata
Q1127224 — 骨格データの出典
Commons
Dakiniten — 図像カテゴリ