キューレーネー
キュレネ · キューレネー · Kyrene
獅子を素手で組み伏せた狩人のニュンペー。アポローンに愛されてアリスタイオスを生み、リビュアの都市キュレーネーの名祖となった。
解説
概要
キューレーネー(Κυρήνη / Kȳrēnē)は、テッサリアのラピテース王ヒュプセウスの娘で、狩りを好んだニュンペーである。アポローンに愛されてアリスタイオスを生み、北アフリカの都市キュレーネーの名祖となった。
ギリシア神話の女性が獣と素手で戦う場面は多くない。彼女が神の目に留まったのは美しさによってではなく、獅子を組み伏せる腕によってであった。この一点が、他の恋愛譚と彼女を分けている。
神話・物語
家事を嫌い、父の羊を襲う獣を狩って夜を明かす娘であったと伝えられる。アルテミスから二頭の猟犬を贈られたともいう。カリマコスによれば、メーデイアがペリアースを謀殺したのちの葬礼競技で、徒歩競走に勝ったのは彼女であった。
ペーリオン山で獅子と格闘しているところを見たアポローンは驚き、ケンタウロスのケイローンを呼んで相手が何者かを尋ねた。ケイローンは神の恋心を見抜き、望みどおり妻とするよう勧め、生まれる子は神になると予言する。ピンダロス『ピュティア祝勝歌』第9歌が伝えるこの場面では、全知であるはずの神が人に問い、人がその心を言い当てるという逆転が起きている。
アポローンは彼女を黄金の車に乗せ、リビュアの地へ運んだ。アプロディーテーに迎えられたその地で、彼女はアリスタイオスを生む。のちにこの場所に建てられた都市がキュレーネーである。
息子の蜜蜂が全滅したとき、原因をプローテウスから聞き出すよう助言したのも彼女であった。ウェルギリウス『農耕詩』では、水底の館に息子を迎え入れ、変身する海神を縛る手順を細かく教える。神話のなかで母が息子に技術的な指示を与える場面としては珍しく具体的である。
もう一人の子イドモーンは予言者で、アルゴナウタイに加わった。その孫が、トロイア戦争でギリシア方の予言者を務めたカルカースにあたる。アレースとの間にトラーキア王ディオメーデースを生んだとする伝えもある。人食い馬を飼い、ヘーラクレースの功業で殺された王である。
図像と象徴
標識は獅子である。ローマ期の作例では、獅子を組み伏せる女性像として表された。本ページの主画像は、ランベーズ(現アルジェリア)から出た後2〜3世紀のモザイクに描かれた彼女である。
キュレーネー市はこの主題を都市の自己表象として用いた。貨幣や彫刻に獅子と戦う女神が現れ、植民市が自らの起源を狩人のニュンペーに置いていたことがわかる。名祖の物語が実際の都市の図像政策に接続している例である。
系譜と関係
父はラピテース王ヒュプセウス(河神ペーネイオスとナーイアスのクレウーサの子)、母はナーイアスのクリダノペー。子はアポローンとの間のアリスタイオスとイドモーン、アレースとの間のディオメーデース(異伝)。
なお、アルカディアのペラスゴスの妻キュレーネー(Kyllene)は同名の別人である。
文化的足跡
キュレーネーは前7世紀にテーラ島からの植民によって建てられた実在の都市で、薬草シルピウムの交易で栄えた。その名祖として彼女が置かれたのは、植民都市が母市から独立した起源譚を必要としたためとみられる。ローマ期には属州キュレナイカの中心都市となり、遺跡は現在のリビアに残る。