シワ
ジヴァ · ジーヴァ · ジワ
ポラーブ・スラヴのポラビ族が奉じたとされる女神。12世紀の『スラヴ年代記』にただ一度名が挙がるのみで、職能も物語も伝わらない。近世以降に描かれた図像はすべて後世の創作である。
解説
概要
シワ(ラテン語 Siwa、スラヴ語形の復元は *Živa)は、ポラーブ・スラヴのオボドリート連合に属するポラビ族が奉じたとされる女神である。名が現れるのは、ホルシュタインの司祭ヘルモルトが1167年から1172年頃に書いた『スラヴ年代記』の一箇所だけである。ニクロトの治世に異教の勢いが盛り返した経緯を述べるくだりで、オルデンブルクの神プローヴェ、オボドリート人の神ラデガストと並べて「ポラビ族の女神シワ」と記される。ポラビ族の主邑がラッツェブルクであったため、写本の一つでは「ラッツェブルクの女神」とも呼ばれる。
確実に言えるのはここまでである。職能も系譜も物語も、祭祀の様子さえ伝わらない。それにもかかわらず、この名は近世以降おびただしい像と説明を与えられてきた。シワの項は、乏しい史料がどのように膨らまされるかの見本でもある。
神話・物語
物語はない。あるのは名の解釈である。
写本ごとに綴りは揺れる。コペンハーゲン写本は Siwa、リューベック写本は Siwe、ウィーン写本は Silue、シュチェチン写本は Synna。研究者はこの揺れから元の形を Sywa(Syva)と定めた。コペンハーゲン・リューベック・シュチェチンの三本は、いずれも綴字 w([v])を含んでいたことを示す。シュチェチン本の Synna は u と n の取り違えから生じた形で、*Syuua を反映する。ウィーン本の歪みが最も大きい。
この Sywa をスラヴ祖語の形容詞女性形 živa「生きている」と読む点で、研究者の見解はほぼ一致している。Živa はスラヴ諸語に人名としても現れる。古ポラーブ語の人名 *Živa(1336年のラテン語表記 Zive)、古ポーランド語の姓 Żywa、クロアチアの女性名 Živa、ブルガリアの Жива。したがって、これはもともと神名ではなく人名であり、名の知れない女神に付けられた添え名だった可能性が高い。「生きて長らえよ」と願う名か、「生きている者」と性格づける名か、そのいずれかである。
そこから先は分かれる。イヴァノフとトポロフは、シワを東スラヴのモコシの別称と見た。ポラーブ・スラヴと東スラヴでそれぞれ唯一名の知れた女神である、という事情も両者を結ぶ根拠に挙げられる。ディンダは別の可能性を示す。ルティチ族は女神の像を描いた聖なる旗を戦場へ持ち出し、それが損なわれると凶兆として遠征を取りやめたと伝えられるが、この名の知れない守護女神こそシワではないか、というのである。この読みでは名は「生ける」ではなく sivá「青灰色の、蒼白の」となり、シワは戦の女神ということになる。ニーデルレはそもそも *Živa という読み自体を、後述の偽作に引きずられた不確かなものとして退けた。ヴァーニャも留保付きでしか認めていない。
図像と象徴
古い図像は一点もない。にもかかわらず、シワは近世ヨーロッパで繰り返し描かれた。この女神をめぐる最大の見どころは、その図像の系譜そのものにある。
最も古い部類は、ボトーの『ザクセン年代記』(15世紀末)の木版とされる。プローヴェ、ラデガストと並び、裸身で果実を手にした女として描かれた。片手に黄金の林檎、片手に葡萄、髪は腰まで垂れる。これはローマの穀物女神ケレースの伝統的な描き方をそのまま当てたものである。以後の版画はこの構図を引き継いだ。ヴェストファーレンの著作(1740年)の図版では、鳩と白鳥をつないだ車に乗り、「Krosopani sei Dziva Slavorum」と記される。モンフォコンの『古代図解』(1722年)には、台座の上に立つ「SIWA」がある。カイサロフの『スラヴ神話試論』(1804年)の銅版画は同じ図柄をより丁寧に彫り、風景のなかに置いた。本項の主画像はこれである。いずれも12世紀の女神を写したものではなく、ケレース像の借用にスラヴの神名を貼り付けた近世の産物として見なければならない。
そこへ偽作が加わった。ボヘミアの語彙集『マーテル・ウェルボールム』の余白には「Siva, dea frumenti Ceres(シワ、穀物の女神ケレース)」という古チェコ語の注記があり、花を手にした青衣の女性の細密画と「Aestas Siva」の銘が添えられていた。この注記を根拠に、シワは豊穣の女神とされ、その崇拝はボヘミアにまで及ぶものとして説かれ、ラッツェブルクでの姿までが「復元」された。1839年にはヴィシェフラト近くで女性像を打ち出した青銅の鉢が見つかり、ヴォツェルが『マーテル・ウェルボールム』の細密画と照合してシワと同定、1850年に高額で国立博物館へ収められている。まもなく彼はリンツで同型の鉢を見て自説を撤回し、14〜15世紀の作と改めた。注記そのものも1870年代末には偽作と認められた。それでも「豊穣の女神シワ」という像は、現在の通俗的な紹介に残り続けている。
系譜と関係
親も配偶者も子も伝わらない。名の似た神格として、ヤン・ドゥウゴシュの『ポーランド王国年代記』(1455〜80年)が挙げるポーランドの神ジヴィエ(Żywie、生命の神)がある。マチェイ・ストルィイコフスキの年代記(1582年)では、同じジヴィエが「音を立てる風の神」とされ、晴天の神ポゴダ、風の神ポフヴィストと並ぶ。マーハル、ヤンコ、マトゥシャクはシワとジヴィエを同一と見たが、ブリュクナーとニーデルレは別の在地の神格と考えた。ドゥウゴシュの神々の一覧そのものが激しく争われている以上、この比較から確実な結論は出せない。
19世紀には、ラテン語形 Siwa をヒンドゥーのシヴァと結びつける説も現れた。綴りが似ているだけの偶然であり、今日この説を採る研究者はいない。ポラーブ・スラヴの神々の並びのなかでは、スヴェントヴィトや三つ頭のトリグラフのように祭儀の記述が残る神格と違って、シワには名しか残らなかった。同じ『スラヴ年代記』に名を挙げられながら、記述の量にこれほど差が出た理由は分からない。
文化的足跡
チェコの民族再生運動では「生きる」という名の響きが好まれた。1853年にヤン・エヴァンゲリスタ・プルキニェが創刊し、現在も続く自然科学誌の題号は『Živa』である。1874年に発見された小惑星140番も Siwa と名づけられた。オストラヴァ動物園の「水の道」にはスラヴの神々の像の一つとしてシワが立つ。
20世紀以降の再話では、シワは夏と実りの女神として描かれることが多い。長い金髪で麦の穂を抱え、ヴェレスの妻として生と死の対をなす、といった造形である。スラヴの新異教運動(ロドノヴェーリエ)や現代のゲーム・漫画で見かける「生命の女神シワ」も、この系譜に連なる。史料が一行しかない神格に、これだけの像が積み上げられている。読むときは、目の前の記述がヘルモルトの一行に由来するのか、それ以降の五百年に由来するのかを見分けるのがよい。