テルプシコラー
テルプシコラ · テルプシコレー · Terpsichore
舞踏を司るムーサで、名は「舞踏を楽しむ女」を意味する。ギリシアの舞踏は歌と楽器と一体の芸であったため、竪琴を持つ姿で描かれる。セイレーンの母とする伝えもある。
解説
概要
テルプシコラー(Τερψιχόρη / Terpsikhorē)は、舞踏と合唱を司るムーサである。名は「楽しむ」と「輪舞・合唱隊(コロス)」を合わせた語で、「舞踏を楽しむ女」を意味する。ディオドーロスは、教養のもたらす善きものによって弟子たちを楽しませる(テルペイン)女神だからと解している。
ギリシアにおいて舞踏は独立した芸ではなく、歌と楽器と一体になって上演されるムーシケーの一部であった。彼女が楽器を持って描かれるのは、踊りが伴奏と切り離せなかったことの反映である。
神話・物語
ロドスのアポローニオス『アルゴナウティカ』第4巻は、河神アケローオスとの間にセイレーンたちを生んだのを彼女とし、セイレーンたちはかつてペルセポネーの侍女として合唱していたと語る。アポロドーロスやヒュギーヌスは同じ系譜をメルポメネーに帰しており、確定しない。
伝説的な楽人リノスの母とする説もある(10世紀の辞典『スーダ』はアポローンとの子とする)が、リノスの母はカリオペーともウーラニアーとも伝えられる。後代の辞典や注釈には、アレースとの子にトラーキア人の名祖ビストーンを、河神ストリューモーンとの子にレーソスを挙げる者もいる。九柱のあいだで母の座が入れ替わるのは、個々のムーサに固有の物語がもともと乏しく、後から割り振られたことを示している。
詩人たちは合唱の歌の担い手として彼女を呼んだ。プラトン『パイドロス』(259)では、蝉が死後にムーサたちのもとへ行き、踊る者たちのことをテルプシコラーに報告するとされる。ピンダロス『イストミア祝勝歌』第2歌は、かつてのテルプシコラーは甘い歌を銀で売り渡すことはなかったと歌い、報酬を取って書く当世の詩作を皮肉っている。
図像と象徴
ローマ期の定型では、持物は竪琴と撥である。石棺や壁画では、座って弦を弾く姿で表されることが多い。舞踏の女神でありながら踊る姿では描かれない点は、この一組の図像が動作ではなく持物によって見分けられるよう作られていたことによる。
古典期の作例では持物はまだ定まっていない。ペレウスの画家によるアッティカ赤絵の頸部アンフォラ(前440年頃、ウルチ出土、大英博物館 E271)には「テルプシコラー」と銘記された女性が椅子に座って弦の多いハープを弾き、竪琴を持つムーサイオスと、二管のアウロスを持つメルーサが傍らに立つ。
本ページの主画像は、後2世紀前半のローマの《ムーサの石棺》(ルーヴル美術館 Ma475)に彫られた彼女である。
系譜と関係
父ゼウス、母ムネーモシュネー。九柱の一。アケローオスとの子セイレーンたち(異伝あり)。リノスの母とする説もある。
文化的足跡
ヘーロドトス『歴史』を九巻に分けて各巻にムーサの名を冠した慣例では、第五巻が彼女の名を負う。英語の terpsichorean(舞踏の)は彼女の名に由来する形容詞で、バレエやダンスの批評で用いられる。ミヒャエル・プレトリウスが1612年に刊行した舞曲集『テルプシコーレ』も、彼女の名を題に掲げた例である。
領分・別名
親・配偶者・子までを表示(全体はフル系図ページへ)。実線=主要伝承/点線=異伝・別系統。