ホルス(スラヴ神話)
フルス · ホールス · Хърсъ
キエフ・ルーシの神。ウラジーミル1世が980年に丘に立てた六体の神像の一つで、ペルーンに次いで史料への言及が多い。太陽神とされるが月神説も根強く、名の由来も定まらない。
解説
概要
ホルス(古東スラヴ語 Хърсъ/Хорсъ、ロシア語 Хорс)は、キエフ・ルーシで崇拝された神である。988年の受洗以前の東スラヴの神々のうち、ペルーンに次いで史料への言及が多い。それでいて、職能も名の由来も定まっていない。ルーシ以外のスラヴ人が崇拝した形跡はない。
なお、エジプトの隼の神ホルスとは何の関係もない。ラテン文字表記が Khors / Hors と似ること、日本語で同じ音になることによる偶然である。
神話・物語
物語は伝わらない。名が現れる場面だけが残る。
第一の典拠は原初年代記の980年の条で、ウラジーミル1世が館の外の丘に立てた偶像の列に、銀の頭と金の口髭を持つ木のペルーンに続いて、ホルス、ダジボーグ、ストリボーグ、セマルグル、モコシの名が並ぶ。
第二は『イーゴリ遠征物語』である。ポロツク公フセスラフが夜に狼となって走り、鶏の鳴く前にキエフからトムタラカニへ、大いなるホルスの道を横切ったと歌う。天体との関わりを論じる材料は、実質この一節に尽きる。
このほか外典『聖使徒の説教と黙示』はペルーンとホルスを老人とし、ホルスがキプロスに実在したと記す。『三聖者の対話』では雷を起こす二人の天使が語られ、ペルーンはギリシアの、ホルスはユダヤのものだと説明される。スラヴ・キリスト教・ボゴミル派の要素が混ざった文で、異教神を人間の王や外国の神に読み替えるという、中世キリスト教側の常套の処理が働いている。
地名と人名には広く残る。ノヴゴロド・セヴェルスキー地方の16〜18世紀の水名(ホルソヴォ沼など)、ヴォルィニの10〜12世紀の地名、ドナウ右岸ブルガリアのフルソヴォ。ウクライナのホルシフカ村は現在ダムの底にあるが、そこにはホルスという姓の住民がいた。古セルビア語の人名 Хьрсь、古ブルガリア語の Хръсъ も同じ語形をとどめると見られている。
図像と象徴
中世の像は残らない。本項の主画像は、シュロイジングが1698年にアムステルダムで刊行した『モスクワ人の古今の宗教』の銅版画で、「ホルスの像」と題し、焚き火の前にひざまずく人々と台座に座る偶像を描く。17世紀西欧の想像であり、ストリボーグの項に用いた図版と同じ書物に由来する。
実物とされたものはある。1589年から翌年にかけてロシアを旅したドイツ人ヴンデラーは、プスコフ郊外で二体の石像を見たと書き、一方は十字を手にしたウスラード、他方は蛇の上に立ち、剣と炎を持つホルスだと記した。ところがウスラードという神は存在しない。原初年代記のペルーンの描写にある「金の口髭(ус злат)」を、ヘルベルシュタインが神名と読み違えたことから生まれた名である。ヴンデラーが現地で神名を知りえたはずもなく、この記述は後から書物によって補われたものと見られている。ただし石像そのものは実在した。1897年の発掘でプスコフ近郊から高さ約1メートルの「石のバーバ」が見つかっている。胸の十字は像と同時に彫られたもので、第二次大戦で失われ、1928〜29年の写真だけが残る。
系譜と関係
系譜は伝わらない。争われているのは名の由来と職能である。
19世紀以来、最も広く受け入れられてきたのはイラン語起源説である。ペルシア語 xoršid「輝く太陽」、オセット語 xor「太陽」などが挙げられ、トポロフはホラズムから来た兵が太陽崇拝ごとキエフに持ち込んだと考えた。ヴァシーリエフは中世ペルシア語からの借用を否定し、紀元前1千年紀のサルマタイ・アラン系からの借用とする。
言語学の側からの批判は強い。ファスメルは、イラン語の hva- がスラヴ語の短母音 ъ を説明しないこと、š はいわゆる ruki 規則によって х か š になるはずで s のまま残らないことを指摘した。歴史の側にも難がある。ウラジーミルの時代のペルシアはすでにイスラーム化しており、xoršid は「太陽」を意味するだけで宗教的な含みを持たなかった。
スラヴ語の内部で説明する試みもある。ブリュクナーは、ポーランド語の przecharsła koza「痩せこけた山羊」、チェコ語 krsek「小人」などからスラヴ祖語の形容詞 *kъrsъ「痩せた、衰えた」を再建し、ホルスをそこから導いた。ウチンスキもこれを支持する。
職能の議論は二つに割れる。太陽神説は語源に「太陽」を見る立場から出る。加えて原初年代記の神名の列で、ホルスとダジボーグのあいだにだけ接続詞が置かれないことから、ホルスをダジボーグの別名あるいは位格と見る読みもある(ウォミャンスキ)。ブリュクナーはこれに反対し、接続詞の欠落は他の列挙にも起こると指摘した。
月神説は『イーゴリ遠征物語』の読み直しから出る。フセスラフは狼に喩えられ、移動は夜であって太陽は空にない。トムタラカニはキエフの東ではなく南東にある。「鶏まで」は古東スラヴ語で「夜遅くまで、夜明け前まで」を意味した。「大いなる」という形容も、スラヴの民間では月に多く用いられる(ポーランド語 wielki księżyc など)。欠けていく月を「痩せた」と呼ぶ言い方がスラヴ諸語に広く残ることは、*kъrsъ の語源とも噛み合う。日本語圏では中堀正洋が、ヴォーロスを月神と見る議論のなかでこの流れに触れている。
文化的足跡
現代のスラヴ新異教運動(ロドノヴェーリエ)では太陽神として定着し、絵画やゲームでも太陽の神として描かれる。日本語ではエジプトのホルスと同じ表記になるため、両者を結びつける説明を見かけることがあるが、根拠はない。史料上のホルスは、名と、狼になった公が夜に横切った「道」だけを残した神である。