神武天皇
じんむてんのう · 神日本磐余彦天皇 · 神倭伊波礼毘古命
記紀が日本の初代天皇とする伝説上の人物。天照大神の五世の孫で、日向から東征し、熊野で八咫烏に導かれ、金鵄の輝きで長髄彦の軍を破って大和を平定し、橿原で即位したとされる。即位の日は紀元節、のち建国記念の日となった。
解説
概要
神武天皇(じんむてんのう)は、記紀が日本の初代天皇とする伝説上の人物である。『日本書紀』では神日本磐余彦天皇、『古事記』では神倭伊波礼毘古命と記され、諱は彦火火出見、幼名は狭野という。天照大神の五世の孫にあたり、日向から東へ進んで大和を平定し、畝傍山の東南の橿原で即位したと語られる。日本神話の体系に含めて扱い、実在性の議論には立ち入らない。
神話・物語
『日本書紀』によれば、四十五歳のとき、兄や子らに東征をはかり、塩土老翁が語った東方の美しい地を目指した。日向を発ち、宇佐、安芸、吉備を経て難波に至った。
河内の白肩津で長髄彦の軍と戦い、兄の五瀬命が矢傷を負った。一行は「日の神の子孫が日に向かって戦うのはよくない」として紀伊へ回り、五瀬命はそこで没した。
熊野では神の毒気に当たって一行が倒れた。高倉下が、夢でタケミカヅチから授けられた剣、布都御魂を献じると、一行は目覚めた。『古事記』では高木大神が、『日本書紀』では天照大神が夢に現れ、八咫烏を遣わすと告げた。八咫烏が一行を大和へ導いた。
『日本書紀』では、長髄彦との再戦のさなか、金色の鵄が天皇の弓の先に止まり、その輝きで敵軍は目がくらんで戦えなくなった。長髄彦の主であった饒速日命は、長髄彦を殺して帰順した。
畝傍山の東南の橿原に宮を開き、正妃を迎えて即位した。正妃は、『日本書紀』では事代主の娘の媛蹈鞴五十鈴媛命、『古事記』では大物主の娘の比売多多良伊須気余理比売である。明治時代に『日本書紀』の紀年から計算された即位の日付は、前660年2月11日にあたる。崩御のときの年齢は、『古事記』では百三十七歳、『日本書紀』では百二十七歳とされる。
図像と象徴
明治以降の神武天皇像は、弓を持ち、その先に金鵄を止まらせた武人の姿で定型化された。本サイトが掲げるのは、喜多蓮蔵による神武天皇像(1940年)である。
系譜と関係
天孫ニニギの曽孫で、ウガヤフキアエズとタマヨリビメの第四子。兄に五瀬命、稲飯命、三毛入野命がいる。母方ではタカミムスヒの五世の外孫にもあたる。
文化的足跡
明治政府は1873年に即位の日を紀元節とし、戦後に廃止されたのち、1967年から2月11日は建国記念の日として祝日になった。橿原神宮(1890年創建)は神武天皇を祀る。
なお神道と日本の民間信仰は今日も継承されている生きた信仰であり、本項の記述はその神格の伝承と図像に関する学術的な整理である。
領分・別名
親・配偶者・子までを表示(全体はフル系図ページへ)。実線=主要伝承/点線=異伝・別系統。