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八咫烏
PLATE — 八咫烏
YAMATO · 日本神話
八咫烏

八咫烏

やたのからす · 頭八咫烏 · 八咫烏鴨武角身命

W. G. Aston, Nihongi: Chronicles of Japan (1896) 所載図版 PUBLIC DOMAIN

神武東征で熊野から大和へ道を導いたとされる大烏。記紀に三本足の記述はなく、平安中期に中国・朝鮮の三足烏と結びついて今日の姿になった。

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解説

概要

八咫烏(やたがらす)は、記紀神武東征の物語に現れる大烏。熊野から大和へ抜ける険しい山中で神武天皇の道案内をつとめ、導きの神として信仰されてきた。「咫(あた)」は親指と中指を広げた長さを表す上代の単位で、一咫はおよそ十八センチにあたるが、ここでの「八咫」は具体的な寸法ではなく、単に大きいことを言う語である。三本足の姿で広く知られるものの、それは記紀の記述ではなく、後世に中国・朝鮮の伝承と結びついて生じた姿である。

登場する物語

神武天皇の一行は、当初、大阪湾から西へ向かって大和に攻め入り、敗れる。日の神の子孫が日に向かって戦うのは道理に反するとして、紀伊半島を大きく迂回し、熊野から山を越えて大和へ入る道をとった。この山越えで遣わされたのが八咫烏である。

誰が遣わしたかについて、記紀は分かれる。『古事記』では高木大神、すなわち高御産巣日神が天から遣わすとし、『日本書紀』では天照大神が天皇の夢に現れ、頭八咫烏を遣わすと告げる。烏は一行の前を飛び、進むべき道を示した。

使者としての役目も語られる。『古事記』では、八咫烏は兄宇迦斯・弟宇迦斯の兄弟に帰順を促すために遣わされるが、兄宇迦斯は鳴鏑を放って追い返した。『日本書紀』では相手が兄磯城・弟磯城で、兄は烏の鳴き声を不吉として弓矢で追い返し、弟は恐れて葉盤八枚に食物を盛って献じたという。烏は戻って兄に叛意ありと報じた。同じ場面でありながら、記紀で相手の兄弟の名が入れ替わっている。

なお『日本書紀』は、長髄彦との戦いの場面では金色の鵄(金鵄)が天皇の弓の先に止まり、その光が敵の目をくらませたと語る。八咫烏とは別の瑞鳥だが、東征を助ける鳥として同じ物語のなかに並んでいる。

図像と象徴

記紀のどこにも、八咫烏の足が三本であるとは書かれていない。三本足とする最も古い文献は、平安時代中期の承平年間(930年代)に編まれた辞書『倭名類聚抄』である。この時期に、中国から朝鮮半島へ広がっていた三足烏の観念が八咫烏に重ねられたとみられる。三足烏は太陽のなかに棲む霊鳥であり、陰陽の理に照らして偶数の二は陰、奇数の三は陽であるから、三本足の鳥こそ太陽を象るにふさわしいとされた。高句麗の古墳壁画や漢代の画像石には、日輪を負う三足烏の姿が残る。日本古来の「神の使いとしての鳥」の信仰と、大陸の「太陽の霊鳥」とが重なったところに、今日の八咫烏の姿がある。

烏そのものは、それ以前から国家の儀礼に現れていた。『続日本紀』は、大宝元年(701年)の元日、文武天皇が大極殿で朝賀を受けた際、正門に烏形の幢を樹て、その左に日像・青竜・朱雀の幡を、右に月像・玄武・白虎の幡を立てたと記す。左右に日月と四神を配した中央に烏が置かれていることは、この烏が太陽の象徴として意識されていたことを示している。

三本の足が何を意味するかについて、定説はない。熊野本宮大社は天・地・人を表すとし、かつて熊野に勢力を張った熊野三党(榎本・宇井・鈴木)を示すという説もある。

関係する神格

『新撰姓氏録』および『古語拾遺』は、八咫烏を賀茂建角身命の化身とし、その子孫が賀茂県主になったと伝える。『山城国風土記』逸文によれば、建角身命は大和の葛城から山城の岡田賀茂を経て、洛北の賀茂御祖神社(下鴨神社)に鎮まったという。一方『日本書紀』は、頭八咫烏の子孫が葛野主殿県主になったと記す。奈良県宇陀市の八咫烏神社は建角身命を祭神とする。導きの烏の物語は、賀茂氏の由来を語る氏族伝承と分かちがたく結びついている。

熊野三山では、烏は熊野の神に仕える神使、あるいはミサキ神とされる。三山が発行した護符「牛玉宝印」には烏を組み合わせた文字が刷られ、その裏に書いた誓いを破れば熊野の烏が死に、誓った者も罰を受けると信じられた。中世から近世にかけて、この符は起請文の用紙として広く用いられている。幕末に高杉晋作が詠んだとされる「三千世界の烏を殺し」の都々逸は、この約束事を前提として初めて意味をなす。

文化的足跡

八咫烏は近代以降も象徴として使われ続けた。最もよく知られるのは日本サッカー協会のシンボルマークである。漢文学者の内野台嶺らの発案をもとに彫刻家の日名子実三が三本足の烏として意匠化し、1931年(昭和6年)に採用された。協会自身、これは神武東征の八咫烏であると同時に『淮南子』などに見える中国由来の意匠でもあると説明している。同じ時期、三本足の烏は軍の記章や部隊標識にも用いられた。

熊野の周辺では、烏は今も土地の徽章である。現代の小説や漫画、ゲームにも導き手あるいは太陽の使いとして登場するが、記紀が語る八咫烏は姿の描写を持たない鳥であり、三本足はそこに後から重ねられたものである。

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領分・別名

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資料

Wikidata
Q745463 — 骨格データの出典
Commons
Yatagarasu — 図像カテゴリ