天の牡牛
天の雄牛 · グガランナ · グガルアンナ
天空神アヌが飼う神獣。求婚を拒まれたイシュタルの求めで地上に放たれ、七年の飢饉をもたらすはずが、ギルガメシュとエンキドゥに討たれた。
解説
概要
天の牡牛(シュメール語 gud-an-na、アッカド語 alû)は、メソポタミアの伝承に現れる神獣である。天空神アヌのもとに置かれ、地上に放たれれば七年の飢饉を招くとされた。『ギルガメシュ叙事詩』第六書板でイシュタルがこれを父に強請ってウルクへ差し向けるが、ギルガメシュとエンキドゥに討たれる。この一頭の獣の死が、叙事詩の後半すべてを動かすことになる。
物語は二つの版で伝わる。シュメール語の先行詩『ギルガメシュと天の牡牛』と、標準バビロニア語版の叙事詩である。両者は筋立てが大きく異なり、求婚拒絶の場面を持つのは後者だけである。
登場する物語
シュメール語詩では、イナンナがギルガメシュに牡牛を差し向ける。その動機は明らかでない。父アンから牡牛を引き出す場面でも、彼女は冥界の門を破るとは脅さず、ただ地上まで届く「叫び」を上げると言うにとどまる。
アッカド語版はこれをはるかに劇的に語り直した。ギルガメシュに求婚を退けられたイシュタルは天へ昇り、母アントゥに訴え、父アヌに牡牛を要求する。断れば冥界の門を打ち砕き、死者を放って生者を食わせる、と彼女は言う。アヌは、その獣を放てば七年の飢饉になると渋るが、イシュタルは人にも家畜にも七年分の穀物を蓄えてあると答えた。アヌはついに折れる。
放たれた牡牛は、一息目で百人が落ちるほどの穴を大地に穿ち、二息目にはさらに大きな穴を開けて二百人を呑んだ。ギルガメシュとエンキドゥは組んで戦う。エンキドゥが背後に回って尾を引き、ギルガメシュが首に剣を突き立てた。二人は牡牛の心臓を太陽神シャマシュに捧げる。
問題は殺したあとに起きる。ウルクの城壁の上に立ったイシュタルがギルガメシュを呪うと、エンキドゥは牡牛の右腿をもぎ取って女神の顔に投げつけた。イシュタルは遊女たちを集め、牡牛のために泣かせる。ギルガメシュのほうは祝宴を開いた。
第七書板はエンキドゥの夢から始まる。アヌ、エア、シャマシュが会し、牡牛を殺した罰としてギルガメシュかエンキドゥのどちらかが死なねばならぬと決めた——夢はそう告げていた。選ばれたのはエンキドゥで、彼はまもなく病み、冥界の夢を見て死ぬ。友の死はギルガメシュに自らの死への恐怖を植えつけ、叙事詩の残りはその恐怖に導かれて進む。神獣を屠った代償が、英雄の不死の探求へ折り返す構図である。
図像と象徴
アッカド帝国期(前2334〜2154年ごろ)の円筒印章には、牡牛を屠る場面が数多く刻まれている。異常に大きく荒々しい獣として描かれるのが共通する特徴である。ただし、これらの図像が叙事詩の天の牡牛を描いたものか、獣と格闘する英雄という当時の定型図の一種かは、個々の作例については決めがたい。
この獣が何を表すのかも定まっていない。ジェレミー・ブラックとアンソニー・グリーンは、天の牡牛が牡牛座と同一視されていたことを指摘し、エンキドゥが後脚を投げつけるのは、この星座に後半身が欠けて見える理由を説明するためではないかと論じた。獣の解体がそのまま星座の形の説明になっているという読みである。
サイラス・ゴードンとゲイリー・レンズバーグは、牡牛の脚を投げつけるという侮辱の型が古代近東に広く分布すること、同じ所作が『オデュッセイア』にも現れることを指摘している。
本サイトが掲げるのは、ベルギー王立美術歴史博物館所蔵のテラコッタ奉献板(ナラム・シン期)である。ギルガメシュが天の牡牛と戦う場面とされるが、所蔵館の解説自体が、地下水の神ラフムと牡牛人間クサリックを描いたものである可能性を併記している。この主題について、同定の確定した古代図像は現在のところ存在しない。
関わる伝承
『イナンナの冥界下り』でイナンナが口にする、エレシュキガルの夫グガランナ(「アンの大牡牛」)を天の牡牛と同一の存在とみる研究者がいる。もしそうなら、イナンナが冥界へ下る理由の一つにこの獣の死が関わることになる。ただし断定はできない。
英雄の死ののち七年の飢饉が来るという型は、ウガリットのアクハト神話にも現れる。飢饉を七年前に予見して蓄えておくという主題は、『創世記』のヨセフ物語と『クルアーン』のユースフ章にも見られる。近東世界に広く分布した語りの型である。
ヴァルター・ブルケルトは、拒まれたイシュタルがアヌの前に出る場面と『イーリアス』第五歌の並行を指摘した。ディオメーデースに傷つけられたアプロディーテーがオリュンポスへ逃れ、母ディオーネーに訴え、アテーナーに嘲られ、父ゼウスに軽く諌められる——人物の配置が対応している。
文化的足跡
天の牡牛は、『ギルガメシュ叙事詩』のなかでも視覚的な印象の強い挿話として、近代以降の翻案に繰り返し取り上げられてきた。1872年にジョージ・スミスが洪水物語を解読して以来、この叙事詩はもっぱら旧約聖書との比較を軸に読まれてきたが、この挿話に関してはむしろギリシア叙事詩との並行が論じられる場面が多い。
現代の幻想文学やゲーム作品にも、英雄に討たれる神獣として登場する。原典において重要なのは獣そのものよりも、それを殺した罰が友の命として請求されるという結末のほうである。