マーラ
マーラ・パーピーヤス · 天魔波旬 · 波旬
釈迦の悟りを妨げようとした仏教の魔王。正しくはマーラ・パーピーヤス(天魔波旬)。誘惑と死を人格化し、修行を阻む一切の障りを体現する。
解説
概要
マーラ(梵 Māra)は、釈迦が悟りに至るのを妨げようとした魔王であり、仏道の完成を阻む一切の障りを人格化した存在である。正しくはマーラ・パーピーヤス(天魔波旬)と呼ばれ、マーラは「殺すもの」あるいは「死」の人称形、パーピーヤスは「より悪しき者」を意味する。仏典では神(天)の一種とされ、それゆえ天魔とも称される。
神話・物語
その名を高からしめたのは、釈迦の成道をめぐる降魔の物語である。菩提樹下で瞑想に入った釈迦に対し、マーラはまず美しく巧みな三人の娘を送って誘惑した。相応部の魔娘経は、この三姉妹を渇愛(タンハー)・不喜(アラティ)・貪(ラーガ)と名づける。誘惑が徒労に終わると、マーラは恐ろしい怪物の軍勢を差し向け、岩や武器を降らせ、あたりを暗闇で覆った。それでも釈迦は動じず、最後にマーラが投じた巨大な円盤さえ花輪と化した。かくてマーラは敗北を認め、釈迦は悟りを開いた。この誘惑と脅威に打ち勝つ次第が、仏教における魔の観念の原型となった。
図像と象徴
マーラは、釈迦の成道を襲う場面の一部として描かれることが多い。ガンダーラの浮彫には、軍勢を率い、あるいは娘たちを従えて瞑想する釈迦に迫るマーラの姿が刻まれた。これに対し釈迦は、右手を膝から垂らして大地に触れ、悟りの正当さを大地に証言させる触地印を結ぶ。本項に掲げるのも、スワート渓谷に出土したガンダーラ様式のマーラの浮彫断片である。魔の襲撃と仏の不動の対比そのものが、この主題の図像的な核心をなす。
系譜と関係
仏教の宇宙観で、マーラは欲界の最高天である他化自在天の主とされ、欲によって衆生を輪廻のうちに繋ぎとめる存在と位置づけられた。教理はまた、魔を四種に分けて説く。心身を構成する五蘊の魔、煩悩の魔、死そのものの魔、そして天子の魔であり、この最後がほかならぬマーラである。インドの古層では、マーラは愛欲の神カーマと結び付けられ、カーマ・マーラとして一体に観念されることもあった。
文化的足跡
マーラの物語は、外なる悪魔の話であると同時に、修行者の内に生じる欲望と恐怖の寓意として読み継がれてきた。降魔成道の場面は、ガンダーラ以来、東アジアに至るまで仏教美術の重要な主題であり続けた。現代でも魔を意味する語としてしばしば創作に用いられるが、その源には、悟りを妨げる誘惑と死の人格化という、一貫した観念がある。