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舎利弗
PLATE — शारिपुत्र
DHARMA · 仏教の尊格
शारिपुत्र

舎利弗

シャーリプトラ · 舎利子 · 鶖鷺子

快慶(大報恩寺蔵)、文化財デジタルコンテンツ CC BY 4.0

釈迦の十大弟子の筆頭で、智慧第一。バラモンの家に生まれ、懐疑論者サンジャヤに学んだのち、アッサジの偈を聞いて目連とともに出家した。釈迦に先立って没し、1851年にサーンチーで遺骨が見つかった。大乗経典では声聞の代表として描かれる。

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解説

概要

舎利弗(しゃりほつ、梵 Śāriputra、パーリ語 Sāriputta)は、仏教の開祖釈迦の弟子で、十大弟子の筆頭、「智慧第一」と称された人物である。神通第一の目連と並んで二大弟子とされ、「法の将軍」とも呼ばれた。名は「シャーリーの子」を意味し、母の名シャーリー(鶖鷺)にちなむ。漢訳では舎利子、鶖鷺子とも書かれる。

生涯

舎利弗は、マガダ国の王舎城(ラージャグリハ)近くの村にバラモンの子として生まれ、もとの名をウパティッサといった。法顕はその村をナーラと記す。

幼なじみのコーリタ(のちの目連)とともに、懐疑論者サンジャヤのもとで学んだが満足できなかった。あるとき釈迦の弟子アッサジ(アシュヴァジット)に出会い、「諸法は因より生ず、如来はその因を説く」に始まる偈を聞いて、ただちに悟りの流れに入った。これを聞いたコーリタも同じ境地に達し、二人はサンジャヤの弟子の多くとともに釈迦のもとで出家した。舎利弗は出家から二週間で阿羅漢となったと伝えられる。

釈迦は、自分に代わって比丘に戒を授けることを最初に舎利弗に許し、舎利弗は釈迦の子ラーフラの出家の師となった。上座部の伝統では、釈迦が神々に説いたアビダルマを舎利弗が整理したとされる。

舎利弗は釈迦より少し前に、故郷で母を仏教に導いたのちに没した。パーリ語の注釈書は、カールッティカ月の満月の日とする。

遺骨

経典は、釈迦が舎利弗の遺骨を祇園精舎に納めたと伝える。1851年、カニンガムとメイジーはサーンチーの仏塔から、ブラーフミー文字で舎利弗の名を記した舎利容器と骨片を見つけた。遺骨は英国に渡ったのち、1947年にスリランカへ、1949年にはインドを巡回し、1952年にサーンチーのチェーティヤギリ精舎に納められた。

大乗仏教における位置

大乗経典では、舎利弗はしばしば声聞の代表として描かれる。『般若心経』では、観自在菩薩が舎利子に語りかける。『維摩経』では、天女のまいた花が舎利弗の衣にだけ付いて離れず、天女は舎利弗と体を入れ替えて、男女の別が仮のものであることを示す。『法華経』では、釈迦は舎利弗が未来に華光如来となると予言する。

図像と象徴

本サイトが掲げるのは、京都・大報恩寺の十大弟子像のうち、快慶の作とされる舎利弗像(1220年頃)である。中国と日本には、釈迦の両脇に舎利弗と目連を配する作例がある。

系譜と関係

母はシャーリー。友は目連。釈迦の子ラーフラの師。

文化的足跡

釈迦の遺骨を指す「舎利」は、サンスクリットのシャリーラ(身体、遺骨)に由来する語で、舎利弗の名とは関係がない。

なお仏教は今日も信仰されている生きた宗教であり、本項の記述はその尊格の伝承と図像に関する学術的な整理である。

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領分・別名

親・配偶者・子までを表示(全体はフル系図ページへ)。実線=主要伝承/点線=異伝・別系統。

シャーリー
ルーパシャーリー。名「舎利の子」の由来
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シャーリー
ルーパシャーリー。名「舎利の子」の由来
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資料

Wikidata
Q320142 — 骨格データの出典