目連
マウドガリヤーヤナ · 目犍連 · 大目犍連
釈迦の十大弟子で神通第一。舎利弗と並ぶ二大弟子。餓鬼の境涯に堕ちた母を、僧への供養によって救ったという『盂蘭盆経』の話が、お盆の起源とされる。釈迦の入滅と同じ年に襲われて没し、経典はそれを過去世の業の報いとする。
解説
概要
目連(もくれん、梵 Maudgalyāyana、パーリ語 Moggallāna)は、仏教の開祖釈迦の十大弟子の一人で、「神通第一」と称された人物である。舎利弗と並ぶ二大弟子とされ、摩訶目犍連、大目犍連とも書かれる。地獄に堕ちた母を救う話が、盂蘭盆会(お盆)の起源とされる。
生涯
マガダ国のコーリタ村に生まれ、もとの名をコーリタといった。母の名はモッガリーで、そこから目犍連(モッガッラーナ)と呼ばれる。舎利弗とは幼なじみで、ともにサンジャヤに学び、ともに釈迦のもとで出家した。
パーリ語の経典では、目連は神々の天や地獄を訪れ、苦しみの境涯にある霊や神々と語り、神々にどのような行いによって天に生まれたのかを尋ねる。竜王ナンドーパナンダを降したとも、騒がしい比丘たちを戒めるために建物を揺り動かしたとも伝えられる。
目連は、釈迦の入滅と同じ年に、八十四歳で没した。王舎城近くのカーラシラーの洞窟で襲われて殺されたといい、パーリ語の伝えでは、ジャイナ教の修行者たちが盗賊を雇ったとされる。経典は、この非業の死を、過去世に両親を殺した業の報いとし、神通力もこうした業を防ぐことはできないと釈迦が説いたと伝える。
遺骨
19世紀、アレクサンダー・カニンガムとメイジー中尉は、サーンチーとサトダーラの仏塔から、目連の名を記した舎利容器を見つけた。遺骨は英国に渡ってヴィクトリア・アンド・アルバート博物館に収められたが、仏教徒の求めにより1947年にスリランカの大菩提会に返され、1952年にサーンチーに納め直された。
盂蘭盆会の起源
『盂蘭盆経』によれば、目連は神通力で亡き母を探し、餓鬼の境涯に堕ちて苦しむ姿を見た。食物を送ろうとしたが、母の口に入る前に炎となって燃えてしまう。釈迦に救う方法を問うと、七月十五日の自恣の日に、修行を終えた僧たちに供養せよと教えられた。目連がこれに従うと、母は苦しみから救われた。
この話は、中国の盂蘭盆会(中元)と日本のお盆の起源とされる。
図像と象徴
本サイトが掲げるのは、京都・大報恩寺の十大弟子像のうち、快慶の作とされる目犍連像(1220年頃)である。
系譜と関係
母はモッガリー。友は舎利弗。十大弟子の一人。
文化的足跡
中国では、目連が母を救う話は、教えと娯楽を兼ねて語られ、変文『大目乾連冥間救母変文』などに書きとめられた。明清期には、この話を演じる「目連戯」が民間で広く上演された。
なお仏教は今日も信仰されている生きた宗教であり、本項の記述はその尊格の伝承と図像に関する学術的な整理である。
領分・別名
親・配偶者・子までを表示(全体はフル系図ページへ)。実線=主要伝承/点線=異伝・別系統。