アナト
アナート · アナタ · ハナト
ウガリット神話の戦いと狩猟の女神。「乙女」の称号で呼ばれ、バアルの最も強力な盟友として、その死を悼み仇を討った。エジプトにも受容された。
解説
概要
アナト(𐎓𐎐𐎚 ʿnt / Anat)は、戦いと狩猟を司る女神である。ウガリットの文書に最もよく現れ、供物の記録にも繰り返し名を連ねる、この都市の主要な女神のひとりであった。多くの研究者は、マリの文書に見えるアムル系の女神ハナト——スフムの同名の都市で祀られた——をその前身とみている。
もっとも頻繁に付される称号は btlt で、通例「乙女」と訳される。かつては「処女」と訳して性格を論じることが行われたが、現在では、近代的な意味での処女性ではなく、若く婚期にある女性を指す語と解されている。剣と弓を用い、狩りをする女神であり、ウガリット社会で男の領分とされた営みをこの女神が引き受けている点は、意図された性の反転と説明される。
神話・物語
『バアル叙事詩』のアナトは、バアルの最も強力な味方である。バアルが自らの宮殿を望んだとき、アナトは至高神エールのもとへ赴き、頭蓋を叩き割ると恫喝してまで許しを求めた。それでも許しは下りず、結局は母神アーシラトの取りなしを待つことになる。
バアルが死の神モートに呑まれると、アナトは太陽女神シャプシュとともにその亡骸を葬り、やがてモートを捕らえて、刃で断ち、箕でふるい、火で焼き、臼で挽き、残りを野に撒いた。穀物の脱穀と製粉の工程をなぞるこの復讐は、農事の反映と読む説と、再生を封じるための呪術的な破壊と読む説とがある。
『アクハト物語』では、工芸神コシャル・ハシスの作った弓を欲しがり、拒んだ英雄アクハトを配下のヤトパンに殺させる。地上には旱魃が訪れ、アナト自身も自らの所業を悔いる。エールは事前に諫めるが、この女神を止めることはできない。
バアルとの関係が姉妹なのか恋人なのか、その両方なのかは、文書からは決められない。いずれの説も研究者のあいだで支持と反論を集めており、決着していない。
図像と象徴
文書はアナトを翼を備えて飛ぶ姿で語り、これが図像同定の手がかりとされてきた。角と突起で飾られた兜をかぶり、牡牛の上に立って獅子をつかむ有翼の女神を刻んだ円筒印章が、その候補に挙げられる。ただしシリア出土の有翼女神をすべてアナトとみることはできない。メソポタミアのイシュタル図像の影響で、他の女神も翼を与えられた可能性があるためで、研究者は「アナト=アスタルト型」といった括りを用いてこの難点を避けている。
エジプトでは上エジプトのアテフ冠を戴き、槍と盾、あるいは穿孔戦斧を手にする姿で表された。本項に掲げるのは、タニス出土の花崗岩像で、ラメセス2世の肩に手を置くアナトが銘文とともに刻まれている。
系譜と関係
ウガリットではエールの娘。アスタルトとしばしば対で現れ、太陽女神シャプシュ、月神ヤリフとの交渉も神話に語られる。フルリ語の供物表にも名があり、これはフルリの神々のなかに近い性格の女神がいなかったためと説明される。
キプロスのイダリオンからは、この女神への奉献品が四点出土している。うち二点が馬具と槍の穂先であり、フェニキアの時代に入っても戦いの性格が保たれたことを示す。ラルナカ近郊で見つかったフェニキア語=ギリシア語の二言語碑文は、アナトの位置にアテナ・ソーテイラ・ニケーを置いており、アテーナーとの同定が行われたことが分かる。
文化的足跡
エジプトへの導入はヒクソスの時代とされてきたが、根拠は人名一例に限られ、実際に信仰の対象として確かめられるのはラメセス2世の治世からである。この王はとりわけ熱心で、自らをアナトの「愛される者」と称し、この女神を母と呼び、娘にビントアナト(アナトの娘)と名づけ、軍犬と剣にもその名を冠した。タニスとハルガ・オアシスのヒビス神殿に社が知られ、信仰はローマ時代まで続いた。
ヘブライ語聖書に確実に残るのは、シャムガル・ベン・アナトの人名と、ベト・アナトの地名だけである。イラクのアーナ(古代のアナト)は、この女神の名を負う都市が現在まで残った例である。
なお、アナトを「愛と豊穣の女神」とする性格づけが今も流布しているが、これは書板 KTU 1.96 の誤読と、比較宗教学の初期に女神を生殖機能で括った傾向に由来する。当の書板にこの女神の名は現れないことが、資料のデジタル化の過程で明らかになった。現在の研究では、この規定は支持されていない。
領分・別名
親・配偶者・子までを表示(全体はフル系図ページへ)。実線=主要伝承/点線=異伝・別系統。