アスタルト
アスタルテ · アシュトレト · アシュタロト
古代西アジアの女神。カナン人とフェニキア人の信仰と結びつけられる。戦・性愛・王権・美・癒しを領分とし、確実に同定できる像は馬上あるいは戦車上の戦士姿のものだけである。
解説
概要
アスタルト(ギリシア語 Ἀστάρτη、原形 ʿAṯtart)は、古代西アジアの女神である。ギリシア語形アスタルテーを経て、この名で広く知られる。北西セム語圏における、東セム語圏の女神イシュタルに相当する神格にあたる。
青銅器時代から古典古代にかけて祀られた。名はとりわけレヴァントにおけるカナン人とフェニキア人の信仰と結びつけられるが、もとはウガリット、エマル、マリ、エブラといったアモリ人の都市に関わる。エジプトでも、ラメセス朝期に外来の祭祀が導入されて以降、篤く祀られた。フェニキア人はイベリア半島の植民市にもその祭祀を持ち込んでいる。
神話・物語
領分は文化によって組み合わせが異なる。戦、性愛、王権、美、癒し、そして——とりわけウガリットとエマルにおいて——狩猟である。
ここで一つ、はっきりさせておくべきことがある。知られている史料は、この女神が豊穣の女神であったことを示していない。 初期の研究がそう述べたために広く流布したが、現在の研究はこれを支持しない。日本語の解説でも「豊穣の女神」と紹介されることが多いが、根拠を欠く。
象徴は獅子である。馬とも、そして馬に引かれて戦車とも結びつけられた。青銅器時代の円筒印章のいくつかは、鳩もこの女神の徴でありうることを示す。
明けの明星・宵の明星の神格化とする説も、かつて多くの著述家が主張した。しかし少なくともウガリットとエマルにおいて、この女神が天体としての性格を持っていたかどうかは疑われている。
ウガリットその他の青銅器時代シリアの主要都市に伝わる神名表は、この女神をアッシリア・バビロニアのイシュタル、およびフルリのイシュタル型女神イシャラ(「愛の女主」の相において)やシャウシュカの対応神とみなす。都市によっては、西方形の名と東方形の「イシュタル」が完全に交換可能に用いられた。
図像と象徴
本サイトが掲げるのは、エジプト新王国時代の作例である(ケンブリッジ、フィッツウィリアム美術館蔵)。牡馬に乗るアスタルトを表す。
この図像を選んだのには理由がある。アスタルトであると絶対的な確実さをもって同定できる像は、馬上あるいは戦車上の戦士として描かれたものだけである。 裸婦像や豊穣の女神像の多くが、根拠なくこの名で呼ばれてきた経緯がある。
エジプトにおける受容も、この点に関わる。ラメセス朝のエジプトでアスタルトが受け入れられたのは、戦車と馬に結びつく戦の女神としてであった。
関わる神格・伝承
イシュタル、イナンナと対応関係にある。名の原セム語形 ʿAṯtart は、神格 ʿAṯtar と語源的に関係するが、両者の正確な関係は不明である。
キプロスに祭祀が広がった際、古いキプロスの女神と融合した可能性がある。ギリシア人はこの女神をアプロディーテーと同一視した。アプロディーテーがキュプリス(「キプロスの女」)と呼ばれること、そして海から生まれるという伝えは、この経路と無関係ではない。
ヘブライ語聖書には、複数形アシュタロトの形で言及される。マソラ本文の母音表記アシュトレト(ʿAštōret)については議論がある。多くの研究者は、ヘブライ語のボーシェト(בֹּ֫שֶׁת、「恥」)の母音を元の名の子音に人為的に重ねたものと考える。
文化的足跡
日本語圏では、この女神は「アスタルテ」あるいは「アシュタロト」の名で知られてきた。後者は近世ヨーロッパの悪魔学において悪魔の名に転じており、その系譜で紹介されることも多い。異教の女神がキリスト教の枠組みで悪魔に読み替えられるという過程の、代表的な例である。
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの油彩《アスタルテ・シリアカ》(1877年)は、19世紀イギリスにおけるこの女神の受容を示す。ただし描かれているのは古代の図像ではなく、ラファエル前派の解釈である。
領分・別名
親・配偶者・子までを表示(全体はフル系図ページへ)。実線=主要伝承/点線=異伝・別系統。