アブノバ
アブノーバ · Dea Abnoba · Diana Abnoba
黒い森一帯で祀られたガリアの女神。山塊の名でもあり、タキトゥスはドナウ川の水源をアブノバ山に置いた。祭壇ではディアナと重ねられる。
解説
概要
アブノバ(Abnoba)は、現在の黒い森(シュヴァルツヴァルト)とその周辺で祀られた女神である。この名は同時に山塊の名でもあり、神格と地形が一つの語を分け合っている点にこの女神の特徴がある。
語源は定まっていない。第一要素は「水、川」を意味する語幹 abo-s——ブリタンニアの川名エイヴォン(abonā)と同系——に結びつけられることが多い。第二要素については、印欧祖語 nogʷo-(「裸の」あるいは「木」)とみる説と、動詞語根 nebh-(湧き出る、湿る)に遡らせる説が並立する。いずれにせよ水に関わる語であった可能性が高く、名の示す方向は森というより水源である。
神話・物語
物語は伝わらない。知られるのは九点ほどの碑文と、古典期の地理記述である。
碑文のうち最もよく知られるのは、バーデンヴァイラーのローマ浴場から出た祭壇で、DIANAE / ABNOBAE / M(arcus) SENNIVS / FRONTO / S(olvit) L(ibens) EX VOTO と刻む。「ディアナ・アブノバに、マルクス・センニウス・フロントーが誓願により、喜んで果たした」の意である。ミューレンバッハの碑文も同じくディアナとの同一視を示す。ローマ人がこの土地の女神を狩りの女神と読み替えたわけだが、浴場に祭壇が立ったことは、水そのものへの信仰が背後にあったことをうかがわせる。
山としてのアブノバは、古典期の地理記述に繰り返し現れる。タキトゥスは『ゲルマニア』で、ドナウ川がアブノバ山のなだらかな斜面から流れ出すと記した。大プリニウスは『博物誌』第4巻で、ガリアのラウリクム市の対岸に発してアルプスの向こうへ流れると述べるが、これはライン川とその支流をドナウ川と取り違えた記述とみられる。プトレマイオスの『地理学』も山脈に触れるが、位置をアグリ・デクマテス(ローマの越境領)とマイン川の北に置いており、おそらく国境線と山脈を混同して、現在のタウヌス山地を指してしまっている。古代人にとってもこの山塊は輪郭の定まらない場所であった。実際のドナウ川は黒い森を流れ出る二つの小流、ブレークとブリガハ——いずれもケルト語の名である——に始まる。
図像と象徴
この女神を描いた図像は確認されていない。残っているのは文字を刻んだ石であり、姿ではない。バーデンヴァイラーの祭壇は簡素な直方体で、装飾を持たず、上部に供物を置くための造作を備えるのみである。
ディアナとの同一視から、弓と鹿を伴う狩りの女神像を当てる解説があるが、それはローマの図像規範であって、この女神固有の造形を示すものではない。むしろ注目すべきは、碑文における語順である。DIANAE ABNOBAE と、ローマの神名が先、現地の神名が後に置かれる。同じ順序はベリサマのサン=リジエ碑文にも現れ、ガロ=ローマの奉献に共通する語法であった。名を二つ重ねること自体が、この時代の信仰のかたちを示している。
系譜と関係
系譜を伝える資料はない。
ケルトの女神で碑文や図像から狩りとの関わりが確かめられるものは少なく、アブノバのほかアルティオとアルデュイナが挙げられる程度である。このうち碑文でディアナと明示的に等置されるのはアブノバだけであり、アルティオにはその種の記録がない。アルドゥインナがアルデンヌの森を、アブノバが黒い森を、それぞれ名で体現する点は共通する。土地の名と神の名が同じであるという構造は、ガリアの女神にしばしば見られる。
文化的足跡
黒い森の山塊を指すアブノバの名は、古典地理学の術語として近世の地図に受け継がれた。ドナウ川の水源をめぐる議論——ドナウエッシンゲンの泉か、より長いブレーク川かという問い——は、タキトゥスの一文を出発点として今日まで続いている。小惑星(456)アブノバはこの名にちなんで命名された。