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三足烏
PLATE — 三足烏
SINÆ · 中国神話・道教
三足烏

三足烏

さんぞくう · 金烏 · 日烏

東漢の画像石(徐州漢画像石芸術館蔵)/三猎 (CC BY-SA 4.0) CC BY-SA 4.0

太陽のなかに棲むとされた中国神話の霊鳥。漢代の墓室壁画や画像石に三本足の烏として描かれ、月に棲む蟾蜍や兎と対をなした。

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解説

概要

三足烏(さんそくう)は、太陽のなかに棲むとされた中国の霊鳥である。日烏(にちう)・火烏・金烏(きんう)とも呼ばれ、月に棲む蟾蜍(ひきがえる)や兎と対をなして、日月の対称をなす。三本足であることは陰陽の理によって説明された。偶数を陰、奇数を陽とするから、三本足の鳥こそ陽である太陽を象るにふさわしい、というのである。ただし後述するとおり、太陽のなかに烏がいるという観念のほうが古く、その足を三本とする記述は遅れて現れる。

太陽に棲む烏

山海経』大荒東経は、東海のかなたの湯谷に扶桑の神樹が立ち、そこに十羽の烏が宿ると語る。十の太陽が順に空へ昇るという十日(じゅうじつ)の観念と結びついた記述である。この十日をめぐって、後世よく知られる神話が語られる。堯の御世に十の太陽が一度に現れて地上が灼け、草木が枯れたため、堯は弓の名手である羿(げい)に命じて九つの太陽に棲む烏を射落とさせた。以来、太陽は一つになったという(『淮南子』本経訓、『楚辞』天問の王逸注ほか)。

『淮南子』精神訓は「日中に踆烏(しゅんう)有り、月中に蟾蜍有り」と述べ、日月それぞれに宿る生き物を対にして示す。ここで足の数には触れられていない。三本足であることが明示されるのは、後漢の緯書『春秋元命苞』の「陽の数は一に起こり三に成る、日中に踆烏有り」といった記述のあたりからで、太陽に烏がいるという古い観念に、陰陽の数理による説明が後から与えられたものと考えられている。太陽の黒点を烏の姿に見立てたとする説明も行われるが、これは近代以降の合理化であって、古代の文献に根拠を求められるものではない。

三足烏はまた、西王母に仕える鳥としても語られる。前漢の司馬相如『大人賦』は三足烏を西王母の使者とし、後漢の画像石には、龍虎座に坐す西王母のかたわらに九尾狐やとともに三足烏が刻まれた。神話学では、太陽の神鳥である日烏と、西王母のために食を運ぶという三青鳥(さんせいちょう)とが、後に融合したものとみる見方が示されている。

図像と象徴

漢代の墓室壁画・画像石・帛画において、三足烏は日輪のなかに置かれる。円のなかに烏、対となる円のなかに蟾蜍あるいは兎という組み合わせが、天上を表す画面の左右に配された。徐州の画像石に見える三足烏のように、翼を広げ、脚を三本明瞭に彫り出した作例が伝わる。もっとも、足の数はかならずしも一定していない。馬王堆漢墓から出土した帛画の棺覆いには、日輪のなかに二本足の烏が描かれている。三本足はこの主題の必要条件ではなく、時代と工房によって揺れがあった。

烏は黒い鳥であり、これを太陽と結びつける発想は一見奇異だが、日輪のなかに影として見えるものを鳥とみなす想像は東アジアに広く共有された。日本の『和漢三才図会』も、天の部の「日」の項に金烏の図を載せている。

朝鮮・日本への広がり

高句麗の古墳壁画には、日輪を負う三足烏がしばしば描かれる。朝鮮ではこれをサムジョゴ(삼족오)と呼び、月に棲むとされた亀と対にされた。近年は高句麗の象徴として意匠化されることも多いが、その造形は古墳壁画そのものというより現代の再構成である。

日本では八咫烏がこの観念と結びついた。ただし『古事記』『日本書紀』は八咫烏の足の数に触れておらず、三本足とする最古の記述は平安中期の『倭名類聚抄』である。大陸から伝わった太陽の霊鳥という観念が、神武東征の導きの烏に重ねられた結果と考えられている。両者は本来別の伝承であり、一つの鳥として語らないことが肝要である。

文化的足跡

三足烏は、日輪の意匠として東アジアの工芸・建築に広く用いられた。今日では日本サッカー協会の紋章に用いられる八咫烏の三本足がよく知られるが、その三本足はこの中国由来の観念に由来する。現代の漫画・ゲームにも太陽の霊鳥として登場する例が多い。

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領分・別名

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資料

Wikidata
Q1323130 — 骨格データの出典
Commons
Three-legged crow — 図像カテゴリ