テオニム THEONYM · 世界神話アーカイブ 神格を検索
ソール・インウィクトゥス
PLATE — SOL INVICTUS
ROMA · ローマ神話
SOL INVICTUS

ソール・インウィクトゥス

ソル・インヴィクトス · ソール · ソール・インディゲス

Jastrow (2007) CC BY 2.5

「無敵の太陽」を意味するローマの太陽神。アウレリアヌス帝が274年に国家祭祀として整え、以後の皇帝貨幣に繰り返し現れた。

01

解説

概要

ソール・インウィクトゥス(Sōl Invictus、「無敵の太陽」)は、帝政後期のローマで国家的な位置を与えられた太陽神である。皇帝アウレリアヌスが274年にその祭祀を整え、元老院階級から選ばれる神官団を置いて、帝国の主要な神のひとつに押し上げた。インウィクトゥス(無敵の)はこの神に固有の称号ではなく、ユーピテルマールスヘルクレースらにも冠された形容である。ギリシアのヘーリオスにあたる。

神話・物語

この神には語るべき神話がほとんどない。代わりに、その来歴そのものが論争の的である。

長らく通説だったのは、ローマには二つの太陽神がいたという見方である。古い土着のソール・インディゲスは共和政期のうちに衰え、これとは別に、シリア由来の太陽神が3世紀に持ち込まれてソール・インウィクトゥスになった、という筋書きであった。その候補としてはエメサのエラガバル、あるいはパルミュラのマラクベルが挙げられてきた。皇帝エラガバルスがエメサの神石をローマへ運び込み、伝統的な神々を差し置いてこれを最高神としたこと、アウレリアヌスがパルミュラ征服ののちに神像を持ち帰って新神殿に据えたことが、その根拠とされる。

これに対し、S・E・ハイマンスらの修正説は、ローマの太陽祭祀は王政期から古代の終わりまで一続きであったと論じる。ソールの神殿は共和政期から市内に複数あり、帝政期を通じて機能していた。インウィクトゥスをソールの添え名として用いた確実な碑文は158年にさかのぼり、アウレリアヌス以前から皇帝貨幣にこの組み合わせが現れる。アウレリアヌスがしたのは新しい神の輸入ではなく、既存の祭祀の格上げであった、という理解である。この論点は決着していない。

図像と象徴

図像は単純で、それゆえ強い。放射状の光線を冠のように戴き、右手を挙げ、しばしば四頭立ての馬車を駆る。大英博物館が蔵する3世紀の銀製奉献板は、光線冠のソールを打ち出しで表す。太陽と月を並べて世界の全体を示す型は帝政期の常套で、四頭立てのソールに二頭立てのルーナを添える構図が広く用いられた。

貨幣の銘文「SOLI INVICTO COMITI」(無敵の太陽、皇帝の伴侶に)は、とりわけコンスタンティヌスが多用した。皇帝の肖像が放射状の冠をかぶる例はネロ以降の生存中の皇帝に見られるが、これを太陽神との同一化と読むかどうかには議論があり、アクティウムの戦勝を記念する栄冠の継承と見る説もある。図像が政治の言語として使われる場では、意味の確定そのものが難しい。

ミトラス教の聖所では、牡牛を屠るミトラースが太陽神と食卓を共にする場面が繰り返し描かれ(タウロクトニー)、「無敵の太陽神ミトラース」という奉献銘も数多い。ただし密儀のなかのソール・インウィクトゥスと、公の国家祭祀のそれとの関係は明らかでない。

系譜と関係

系譜は語られない。この神を語るのは神話ではなく、皇帝の政治である。コンスタンティヌスの公式貨幣は325年頃までソールを刻み続け、彼の凱旋門はコロッセウム脇に立つソールの巨像を背景に見通す位置に置かれた。321年に定められた「太陽の日(ディエース・ソリス)」の公休は、のちの日曜の起源にあたる。ミトラースとの関係も、アポローン・ヘーリオスとの重なりも、いずれも祭祀の実務のなかで結ばれたものであって、物語による血縁ではない。

文化的足跡

12月25日の「無敵の太陽の誕生日(ディエース・ナターリス・ソリス・インウィクティー)」が降誕祭の日付の由来であるという説は広く知られている。両者を同じ日に記す最古の資料は354年の『フィロカルス暦』である。ただしこの祭がアウレリアヌスの制定にさかのぼる確証はなく、逆にキリスト教側の祝日への対抗として後から立てられた可能性も指摘されてきた。受胎告知を3月25日と定め、その九か月後を降誕とする計算から導く説もあり、決着はしていない。いずれにせよ初期の教会自身が、キリストを「真の太陽」「義の太陽」と呼ぶ言葉を用いていた。ソール・インウィクトゥスに言及する最後の碑文は387年のものである。

02

領分・別名

INTERPRETATIO — 同一視・同源
ヘーリオス ギリシア神話 同一視
ラテン語のソールとギリシア語のヘーリオスは古典期以来相互に訳語として用いられた。ユリアヌス『ヘーリオス王讃歌』はソール・インウィクトゥスの祭をヘーリオスに捧げるものとして語る。
ウシル エトルリア神話 同一視
ローマ併合後、ウシルはローマのソールと同一視された。ただしローマのソールには共和政期以来の独自の祭祀があり、ウシルからの直接の継承を示す証拠はない。
03

資料

Wikidata
Q214494 — 骨格データの出典
Commons
Sol Invictus — 図像カテゴリ