貔貅
豼貅 · 辟邪 · 天禄
中国の伝説上の猛獣。古くは黄帝の軍に従った獣として語られ、漢代以降は翼をもつ辟邪の霊獣となり、現代の風水では財を呼ぶ瑞獣として広く親しまれる。
解説
概要
貔貅(ひきゅう、貔貅 / Pixiu)は、中国の伝承に語られる猛獣であり霊獣である。「豼貅」とも書き、一説に貔が雄、貅が雌であるとされる。この名が指すものは一定していない。先秦の文献に現れる「貔」はもともと実在の猛獣を指す語であったが、漢代以降、翼をもち邪を退ける石獣の像と結びつき、さらに近現代の風水では金銀を食らって外へ出さない財運の瑞獣として語られるようになった。同じ名を保ちながら、指し示す中身が時代ごとに入れ替わってきたところに、この獣の面白さがある。
典籍にみる貔貅
先秦の文献における「貔」は、まず勇猛な獣の名である。『尚書』牧誓は周の武王が兵を励ます言葉に「虎の如く貔の如く」と並べ、『詩経』大雅・韓奕は貢納品として「其の貔皮を献ず」と歌う。『礼記』曲礼上は行軍の作法を述べて、前方に猛獣がいれば貔貅を描いた旗を掲げよとする。ここでの貔貅は瑞獣ではなく、獰猛さの標識である。この用法から「貔貅」は勇猛な兵士・軍隊そのものを指す比喩となり、後漢書や後世の詩文にくりかえし現れる。
その貔貅を神話の場に引き上げたのが『史記』五帝本紀である。黄帝となる軒轅は炎帝の軍と阪泉の野で戦うにあたり、熊・羆・貔・貅・貙・虎を調教して従えたと記される。ただし、貔が具体的に何の動物かについては、古注が早くから割れている。『爾雅』釈獣は「貔は白狐」とし、後漢の『説文解字』は「豹の属、貉国に出づ」とする。晋の郭璞は『爾雅』の白狐説を疑って豹の類とみなし、清の段玉裁『説文解字注』は諸説を並べたうえで、猛獣とする『説文』の解を本義、狸・白狐とする説を俗称の混同と整理した。要するに、古代の中国人自身が貔の正体を確定できていなかったのである。
天禄と辟邪
いま思い描かれる翼のある貔貅像の直接の祖先は、『漢書』西域伝に見える「桃抜(符抜)」である。烏弋山離国の産として獅子や犀とともに挙げられ、孟康の注は、鹿に似て尾が長く、一角のものを天鹿(天禄)、二角のものを辟邪と呼ぶと説明する。天禄・辟邪の名はここから広まり、漢代の墓を守る石獣、玉製の帯飾りや鎮子の意匠として定着した。有翼の獣という造形自体が、西域との交通を通じて西アジアの有翼獣像の影響を受けた可能性が指摘されている。
図像と象徴
貔貅の像は、獅子または虎の体躯に竜の頭を載せ、背に一対の翼を負う姿を基本とする。漢代の石獣は胸を張って一歩を踏み出す姿勢をとり、肋を強く抉り、翼を渦巻く羽毛として肩に彫り出す。角は一本のものと二本のものがあり、これが天禄と辟邪の区別に対応するとされてきた。南京とその周辺には南朝の陵墓に据えられた巨大な石獣群が残り、六朝石刻の代表として知られる。玉器では戦国から漢にかけての小さな辟邪が多数伝わり、西晋の青磁には辟邪を象った燭台や水注もある。
明清に下ると造形は変質する。宮殿建築の屋根の隅棟には獣の列(走獣)が並べられ、貔貅もその一角を占めた。清代の像は腹が丸く肥え、脚が短くなる。財を無尽に呑み込む胃袋という後代の解釈が、そのまま体形に表れた結果である。角も次第に一本に単純化し、現代の玉飾りや置物では雌雄の区別はほとんど意識されない。獅子像や麒麟としばしば混同されるが、翼の有無が最も分かりやすい見分けどころとなる。
近縁の霊獣と、後代の財神化
現代の風水では、貔貅は四霊、すなわち竜・鳳凰・麒麟・霊亀に次ぐ瑞獣として位置づけられる。ただし『礼記』礼運の四霊に貔貅は含まれず、この並置は近現代の実践のなかで生じたものである。
同様に注意を要するのが、貔貅にまつわる最も有名な話——金銀珠玉を食べるが肛門を封じられているため出すことができず、それゆえ財を蓄える守りになる、という伝承である。天帝に尻を打たれて封じられた、竜王の末子が印を壊した罰を受けた、といった筋立てで語られるが、これらは古典の典籍に見えない。招財の性格が前面に出るのは近現代のことであり、辟邪の霊獣から財の霊獣への重心の移動として捉えるのが正確である。
文化的足跡
南京市は市の象徴として辟邪の像を用いており、郊外に点在する南朝陵墓の石獣とともに、この獣は都市の顔になっている。北京では、かつて紫禁城の北に置かれた地安門に、皇室の財神として貔貅が祀られていたと伝えられる。今日の中華圏では玉や翡翠の貔貅の佩玉・置物が開運の品として広く流通し、商店や事務所の入口にその像を見ることも珍しくない。日本の漫画・アニメ・ゲームにも霊獣の一つとして登場するが、作品ごとの造形は創作であり、伝承上の貔貅とは切り分けて捉える必要がある。