黄帝
こうてい · 軒轅 · 軒轅氏
中国の伝説上の君主で、五帝の最初の帝。『史記』では少典の子で名は軒轅、阪泉で炎帝に、涿鹿で蚩尤に勝って天子となった。『山海経』では応竜と女魃の力で蚩尤を倒す。文字や養蚕などの起源とされ、のち道家の祖として老子と並び称された。
解説
概要
黄帝(こうてい)は、古代中国の伝説上の君主である。五帝の最初の帝とされ、三皇のうちに数えられることもある。『史記』は中国の歴史をこの帝から書き起こした。漢代以降は道家の祖としても尊ばれ、老子と並べて「黄老」と称された。
神話・物語
『史記』五帝本紀によれば、黄帝は少典の子で、姓は公孫、名は軒轅という。『国語』晋語は、少典が有蟜氏を娶って黄帝と炎帝を生み、黄帝は姫水のほとりで、炎帝は姜水のほとりで育ったため、それぞれ姫・姜の姓となったと伝える。
『史記』によれば、神農氏の世が衰えると、黄帝は阪泉の野で炎帝と三度戦って勝ち、ついで乱を起こした蚩尤を涿鹿の野で捕らえて殺し、諸侯に推されて神農氏に代わり天子となった。従わない者を討ち、道を開いて四方を巡った。妃は嫘祖で、子に玄囂(青陽)と昌意らがあった。
蚩尤との戦いは、『山海経』大荒北経では神話として語られる。黄帝は応竜に冀州の野で蚩尤を攻めさせ、応竜は水を蓄えた。蚩尤は風伯と雨師に請うて大風雨を起こしたが、黄帝が天女の魃(女魃)を降すと雨は止み、ついに蚩尤を殺した。霧のなかで方角を失わないよう指南車を作ったという話や、九天玄女から兵法を授けられたという話は、後代の伝えである。
黄帝の治世には多くの文物が起こったとされる。倉頡が文字を、大撓が干支を、伶倫が音律を、隷首が算数を作り、妃の嫘祖が養蚕を始めたという。医書『黄帝内経』は、黄帝と岐伯の問答の形をとる。
図像と象徴
本サイトが掲げるのは、黄帝の図である。
「黄帝」の名は、五行で中央・土に配される黄の色に結びつく。古史弁派の楊寛らは、黄帝はもと上帝を意味する「皇帝」であり、五行思想の広まりとともに「黄帝」と書かれるようになったと説いた。
系譜と関係
父は少典。『国語』では炎帝と兄弟とされる。妃は嫘祖。子に玄囂と昌意らがある。蚩尤を討ち、応竜、女魃、九天玄女の助けを得たと伝えられる。
文化的足跡
「炎黄子孫」(炎帝と黄帝の子孫)は、中国人が自らを指す表現である。陝西省の黄帝陵は、今日も国家的な祭祀の場である。
なお中国の民間信仰と道教は今日も継承されている生きた信仰であり、本項の記述はその神格の伝承と図像に関する学術的な整理である。
領分・別名
親・配偶者・子までを表示(全体はフル系図ページへ)。実線=主要伝承/点線=異伝・別系統。