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イリヤー・ムーロメツ
PLATE — ИЛЬЯ МУРОМЕЦ
SLAVI · スラヴ神話
ИЛЬЯ МУРОМЕЦ

イリヤー・ムーロメツ

イリヤ・ムーロメツ · イリヤー・モロヴリン · イリヤー・ムラヴレニン

Ivan Bilibin PUBLIC DOMAIN

ロシア叙事詩の最も名高い勇士。三十三年のあいだ体が動かず、遍歴の巡礼者に癒されて立ち上がる。農民の子でありながら大公に仕え、辺境を守り、最後は石と化した。

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解説

概要

イリヤー・ムーロメツ(Илья́ Му́ромец / Ilya Muromets)は、ロシアの口承叙事詩ブィリーナに登場するボガトィーリの筆頭である。ムーロム近郊カラチャロヴォ村の農民の子とされ、キエフの大公ウラジーミルに仕えて古ルーシの防衛を担った。アズベレフの数える五十三の英雄叙事詩の筋のうち、十五でこの人物が主役をつとめる——他のどの勇士より多い。

スラヴ神話の他の項目と違い、彼は神でも精霊でもない。信じられていたのは彼が実在したということであって、彼に祈る者はいなかった。ただし後述するように、その境界は思うほど明瞭ではない。

由来と物語

物語は、動かない体から始まる。イリヤーは三十三年のあいだ手足が利かず、寝台に座ったきりであった。ある日、家に誰もいないとき、カリキ・ペレホージエ——遍歴の巡礼者たち——が訪れ、立って水を汲んでこいと言う。手も足もありませんと彼は答える。巡礼者は同じことをもう一度言う。すると彼は立ち上がり、水を汲んで戻る。その水を飲め、と言われて飲むと病が癒え、二杯目を飲むと途方もない力が体に満ちた。三杯目は、その力を減らすために飲まされた。

彼らは、キエフへ行って大公に仕えよと告げ、道中に文字の刻まれた動かぬ石があると教える。石を動かすと、その下に馬と武具が備えられていた。イリヤーは馬に「まことをもって仕えよ」と言い、キエフへ発つ。

キエフへの道で彼が倒すのが、口笛ひとつで森を薙ぎ倒す怪物ソロヴェイ・ラズボイニク(鶯の盗賊)である。以後の筋は、異教の巨人イドリシチェとの戦い、ジドヴィンとの戦い、カリン皇帝の軍勢との決戦、そして大公ウラジーミルとの不和と続く。年上の巨人スヴャトゴールに武芸を学ぶ話もあり、死に臨んだ巨人が勇士の息を吹き込み、自らの魔法の剣を譲る。最期にイリヤー自身は石に化す。

図像と象徴

古い図像はない。この勇士の姿を目に見えるものにしたのは19世紀末以降の画家たちで、ヴィクトル・ヴァスネツォフの《ボガトィーリ》(1898年、トレチャコフ美術館)では、三人の中央に最年長として黒馬にまたがる。本ページに掲げたのは、イヴァン・ビリービンが1940年に描いたスヴャトゴールとの場面である。

象徴の中心は、動かない体と、それを癒す水にある。三十三年という数はキリストの年齢であり、癒しをもたらすのが教会の聖職者ではなく道端の巡礼者であるという点も含めて、この物語は民衆の信仰の層に深く根を張っている。精神医学の側からは、器質的な異常のない歩行不能として解離性の症状に当てる読みも出されているが、それは物語の外側の話である。

系譜と関係

叙事詩の世界では、ドブルィニャ・ニキーティチアリョーシャ・ポポーヴィチと組んで「三勇士」を成す。三人のなかで彼は最年長であり、力においても第一とされる。三人が並ぶ構図は絵画が定着させたもので、実際の叙事詩では三人が同時に活躍する筋は多くない。ドブルィニャとは一騎打ちを演じ、アリョーシャとも渡り合う。

歴史上の人物との対応は定かでない。むしろ興味深いのは、キエフ洞窟大修道院に葬られた聖イリヤー・ペチェールスキイ(通称チェボトク)と同一視されてきたことである。この聖人の遺骸は現在も同修道院にあり、正教会の聖人として記憶されている。叙事詩の勇士と修道院の聖人が重なることで、この人物は「信仰の対象ではない英雄」という区分を、ひとりだけはみ出している。

文献に名が現れるのは16世紀が最初で、クミタ=チェルノブィリスキイは「イリヤー・ムラヴレニン」と記し、エーリヒ・ラソタはキエフの聖ソフィア聖堂で巨人イリヤー・モロヴリンの墓を見たと書いた。さらに13世紀のノルウェーの『シズレクのサガ』とドイツの詩『オルトニート』には、「イーリアス」の名で王子として現れる。

文化的足跡

イリヤーは、ロシアにおいて最も広く知られた英雄の名であり続けてきた。ヴァスネツォフの絵、リムスキー=コルサコフに師事したグリエールの交響曲第3番《イリヤー・ムーロメツ》(1911年)、そして1956年の映画『イリヤー・ムーロメツ』——ソ連初のワイドスクリーン作品である——がその像を運んだ。2004年に始まったアニメ映画「三勇士」シリーズでは、彼は喜劇の主役に転じている。

もっとも、ヴォルガやヤイクの流域では、彼はキエフの大公に仕える勇士としてではなく、盗賊やコサックの側に立つ者として歌われてきた。同じ名の英雄が、語られる土地によって国家の守り手にも無法者にもなる。叙事詩がひとつの正典を持たないということが、ここによく表れている。

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領分・別名

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資料

Wikidata
Q1146624 — 骨格データの出典