ドブルィニャ・ニキーティチ
ドブルィニャ・ニキーチチ · ドブルイニャ・ニキーチッチ · Добрыня Никитич
ロシア叙事詩の勇士。竜を倒して大公の姪を救い、使者としても働く。武勇だけでなく礼節と弁舌に長け、十二の言語と鳥の言葉を解したとされる。
解説
概要
ドブルィニャ・ニキーティチ(Добры́ня Ники́тич / Dobrynya Nikitich)は、ロシアの口承叙事詩ブィリーナに登場するボガトィーリである。リャザンの武将ニキータの子とされ、キエフの大公ウラジーミルに最も近侍する勇士として描かれる。
三勇士のなかで、彼の役どころははっきりしている。力のイリヤー・ムーロメツ、知恵と度胸のアリョーシャ・ポポーヴィチに対して、ドブルィニャは礼節の人である。叙事詩は彼の「ヴェージェストヴォ」——たしなみ、作法、外交の才——を繰り返し讃える。十二の言語を話し、鳥の言葉まで解したという。射ることも泳ぐことも、盤上の遊戯も、歌もグースリの演奏も巧みであった。
由来と物語
最も古い層に属するのが、竜退治と婚礼の使者という二つの筋である。
「ドブルィニャと竜」では、彼はプチャイ川で水浴していたところをズメイ・ゴルィヌィチに襲われる。武具を持たぬまま、傍らにあった帽子に土を詰めて投げつけ、竜を打ち倒す。命乞いに応じて一度は見逃すが、竜が大公の姪ザバーヴァ・プチャーチチナをさらったため、改めて討ちに向かい、三日三晩の戦いの末にこれを倒して姫を救い出す。
もう一つは「ドゥナイ・イワノヴィチ」の一群で、彼は大公の花嫁を迎えに行く使者をつとめる。大公が難題を持ち出すたび、他の勇士が尻込みするなかで進んで引き受けるのが、この人物の常である。
そして最も多く歌われたのが「ドブルィニャ、妻の婚礼に立ち会う」である。長い留守のあいだにアリョーシャが「ドブルィニャは死んだ」と偽りを触れ回り、その妻ナスターシヤと結婚しようとする。帰還したドブルィニャは芸人に身をやつして婚礼の席に紛れ込み、盃に指輪を沈めて妻に正体を知らせる。研究者はこの筋を、東方の説話がスコモローフの演目を通じて叙事詩に取り込まれたものと見ており、成立は16世紀より遡らない。
図像と象徴
古い図像はない。姿を定めたのは19世紀末以降の画家である。ヴァスネツォフの《ボガトィーリ》では、三人のうち最も装いの整った、剣を鞘から半ば抜きかけた中年の武人として中央左に立つ。本ページに掲げたのは、イヴァン・ビリービンが1902年に描いた連作「ボガトィーリ」の一枚である。
象徴として彼が負っているのは、武力と礼節が同じ人物のうちに両立しうるという主張である。竜を倒す腕を持ちながら、命乞いには一度耳を貸す。婚礼を壊された怒りを、剣ではなく指輪で告げる。ロシアの叙事詩が理想としたのは、強いだけの男ではなかった。
系譜と関係
叙事詩ではイリヤー・ムーロメツと一騎打ちを演じて義兄弟となり、アリョーシャ・ポポーヴィチとは名を呼び合う仲でありながら妻をめぐって裏切られる。妻ナスターシヤは、大地の力を体現する農夫ミクーラ・セリャニノヴィチの娘であり、自らもポリャニーツァ——女の勇士——である。
歴史上の対応者としては、ウラジーミル一世の母方の伯父にあたる武将ドブルィニャが挙げられるのが通例である。この人物は年代記に実在が確かめられ、ノヴゴロドの異教の偶像を川に投じてキリスト教化を進めた側にいた。竜退治の物語が北のノヴゴロド周辺で成形されたらしいことと、この符合は無関係ではないかもしれない。もう一人、リャザンの武人「黄金帯のドブルィニャ」を原型と見る説(ハランスキイ)もある。
ミッレルは、ドブルィニャの竜退治を聖ゲオルギオスや聖テオドロスの竜退治伝説と並べ、教会の物語の外皮が民衆の英雄に移し替えられた例として論じた。
文化的足跡
ヴァスネツォフとビリービンの絵によって、ドブルィニャは近代ロシアの国民的な図像の一部となった。ソ連期の児童向けの再話とアニメがそれを引き継ぎ、2006年のアニメ映画『ドブルィニャ・ニキーティチと竜ゴルィヌィチ』では、三勇士シリーズの一作として堅物の年長者という役どころを与えられている。リャザン州シーロヴォ地区には勇士の記念碑が立ち、毎年「ドブルィニャの栄光」祭が開かれる。
叙事詩そのものは、ロシア北部の農民と漁民のあいだで20世紀初頭まで生きて歌い継がれた。ドブルィニャの筋は、そのなかで最もよく採録された部類に属している。