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PLATE — ΕΥ̓́ΜΟΛΠΟΣ
HELLAS · ギリシア神話
ΕΥ̓́ΜΟΛΠΟΣ

エウモルポス

エウモルポス · Eumolpos · Eumolpus

エレウシースの神話的な王。ポセイドーンの子で、エレウシースの秘儀の創始者とされ、その神官家系エウモルピダイの祖にあたる。

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解説

概要

エウモルポス(Εὔμολπος / Eumolpos)は、エレウシースあるいはトラーキアの神話的な王である。名は「美しく歌う者」を意味する。エレウシースの秘儀の創始者とされ、秘儀の最高位神官ヒエロパンテースを代々出した一族エウモルピダイの祖と位置づけられた。

ただし、彼の役割は時代とともに大きくなった。『ホメーロス風讃歌』の「デーメーテール讃歌」では、彼はデーメーテールから秘儀を授かった数名の王のうちの一人にすぎない。創始者へと格上げされていく過程そのものが、アテーナイがエレウシースの祭祀を取り込んでいった歴史と重なっている。

神話・物語

キオネーはアテーナイ王エレクテウスの娘オーレイテュイアが北風の神ボレアースとの間に生んだ女性である。ポセイドーンに愛されて生んだ子を、露見を恐れて海へ投げ捨てた。父ポセイドーンが拾い上げ、娘ベンテシキューメーに育てさせる。

成長した彼はベンテシキューメーの娘の一人を妻としたが、その姉妹を犯そうとして追放された。トラーキア王テギュリオスのもとへ逃れ、そこでも王への陰謀が発覚してエレウシースへ亡命する。この地でデーメーテールから秘儀を授けられた。息子イスマロスの死により後継者を失ったテギュリオスと和解し、トラーキアの王国を継いだという。追放と亡命を重ねた末に祭司となる経歴であり、秘儀の創始者としては異例の前歴である。

やがてエレウシースとアテーナイの戦争が起きる。彼はトラーキアの大軍を率いてエレウシース側に立った。アテーナイ王エレクテウスが神託に従って娘を犠牲に捧げたため、戦いはアテーナイの勝利に終わり、彼は討たれた。父ポセイドーンは報復としてエレクテウスを滅ぼす。パウサニアースは、アテーナイの伝承では討たれたのは彼ではなく息子イムマラドスであったと記す。

戦後、エレウシースはアテーナイに従属したが、デーメーテールとペルセポネーの秘儀だけはエレウシース側が保持し、彼とケレオスの娘たちが執り行うこととされた。政治的従属と祭祀の独立を切り分けたこの取り決めは、実際の秘儀運営の形をそのまま神話にしたものとみられる。

系譜には錯綜がある。ソポクレース古註は、秘儀を創始したのはアテーナイと戦った彼ではなく、五代のちの同名の子孫だとする。エウリピデスの散逸悲劇『エレクテウス』の断片にも「エウモルポスは、亡きエウモルポスから生まれて」という一句があり、この二人説は前5世紀にはすでに成立していた。ムーサイオスとの関係も、彼の父とも子とも子孫とも伝えられて定まらない。

図像と象徴

彼を名指しできる古代の作例は確認されていない。エレウシースの図像が集中するのはデーメーテール、ペルセポネー、そして麦の穂を人間へ渡すトリプトレモスであり、秘儀の創始者とされた王は画面に現れない。秘儀そのものが口外を禁じられていたことと、この不在は無関係ではない。本ページに主画像を置いていないのはこのためである。

パウサニアースは、彼の墓と伝えられるものがエレウシースとアテーナイの双方にあったと記録している。図像を残さず、墓だけが二つあるという状態は、この人物の位置をよく示している。

系譜と関係

ポセイドーン、母キオネー。アポローンとニュンペーのアステュコメーの子とする異伝もある。子はイスマロス(イムマラドス)とケーリュクス。

ケーリュクスは秘儀で松明を持つ第二位の神官ダイドゥーコスを出した一族ケーリュケスの祖とされるが、当のケーリュケス家自身は、祖をヘルメースとアグラウロスの子であるとして彼の血統を認めていなかった。二つの神官家系の由緒争いが、系譜の異伝として残っている。

音楽家としての伝えもあり、テオクリトスは彼をヘーラクレースの歌の教師とし、ヒュギーヌスはペリアースの葬礼競技で歌に勝ったと記す。

文化的足跡

エウモルピダイの家系は、前5世紀から後4世紀に至るまで実在の神官家としてエレウシースの秘儀を担い続けた。秘儀を冒涜した者を裁く権限も持ち、アルキビアデスの秘儀冒涜事件では彼らの呪詛が問題になっている。神話上の祖と実在の家系がこれほど長く結びついた例は、ギリシアでも多くない。

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領分・別名

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資料

Wikidata
Q1125049 — 骨格データの出典