チェルノボグ
チェルノボーグ · チョルノボーグ · ツェルネボフ
「黒い神」を意味する名で伝わるポラーブ・スラヴの神。中世の典拠は12世紀の『スラヴ年代記』の一節のみで、対をなすベロボーグは16世紀以降の文献にしか現れない。
解説
概要
チェルノボグ(Чернобог / Zcerneboch、「黒い神」)は、スラヴ神話のうちポラーブ・スラヴの神とされる存在である。「白い神」ベロボーグと対をなし、スラヴに善悪二元論があった証拠として、19世紀以来くり返し引かれてきた。
しかし中世の典拠は、12世紀のスラヴ年代記にある一節のみである。ベロボーグにいたっては中世の記録が一つもない。実在した神なのか、悪魔の異名にすぎないのか、そもそも神を指す語ですらないのか——研究者の見解は今も割れている。この記事の主題は、その割れ方そのものである。
神話・物語
ヘルモルトの記述はこうである。スラヴ人には奇妙な習わしがあり、宴と酒盛りの席で杯を回しながら、善き神と悪しき神の名を唱える。幸はすべて善き神が、禍はすべて悪しき神が配ると称する。それゆえ彼らは、悪しき神を自分たちの言葉でディアボル、またはツェルネボフ、すなわち黒い神と呼ぶ——。ヘルモルトはエルベ川流域のスラヴ人、ヴァグリ人とオボドリト人への布教に同行した聖職者である。この一節が、チェルノボグについて中世が伝えるすべてである。
ベロボーグが文献に現れるのは、四百年後である。1530年頃、ピルナのドミニコ会士ヨハン・リントナーが編纂物のなかで両神に触れた。ただし彼は現地調査ではなく写本と修道院の言い伝えに頼っており、しかも典拠を吟味せずに用いたとして、同時代のゲオルク・ファブリキウスやペトルス・アルビヌスの頃から信頼性を疑われてきた。1538年、ポメラニアの年代記作者トマス・カンツォウは、リューゲン島の人々が善き「ビアルブク(白い神)」と害をなす「ツェルネブク(黒い神)」を崇め、後者には人身供犠を捧げたと書いた。1550年、ゼバスティアン・ミュンスターの『世界誌』も同様の記述を載せ、これを「マニ教徒の誤り」になぞらえている。マニ教という語が、彼らが何を通してこの信仰を見ていたかを言い当てている。
ベロボーグの出所については、有力な指摘がある。ポメラニアには1163年創建のベルブク(Belbuck/Białoboki)修道院があり、その名は「白い神」と解される。ミロスラヴァ・ズナイェンコは、カンツォウとミュンスターが共通して用いた資料をこの修道院の文書庫に求め、ベロボーグはそこで生まれたと見る。17世紀シュチェチンの神学者ダニエル・クラーメルは、修道院の名について、異教徒の祖先と違ってキリスト教徒は黒い神など知らないと示すためであり、白衣のプレモントレ会士にもふさわしい名だと説明している。神の名から修道院の名が付いたのではなく、修道院の名から神が生まれた——その順序が疑われている。
図像と象徴
古代・中世を通じて、チェルノボグを表したと確実に言える図像は存在しない。神像も、祭祀址も、地名以外の痕跡もない。本ページに主画像を置いていないのはそのためである。
象徴を読む手がかりは、やはり名しかない。ミハウ・ウチンスキの分析はここで決定的である。「黒い神」「白い神」に当たる言い回しは、スラヴ語圏の全域に広く分布する。スロヴィンツ語の čǻrnï bȯ́u̯g は「悪魔」、bjǻu̯lï bȯ́u̯g は「神」を意味し、シレジア語では前者が「悪霊」、後者が「人に善をなす霊」を指す。セルビア語やブルガリア語では、白い神に当たる語が「運」「幸運」「成功」を意味する。
ここから読み取れるのは、黒と白が「悪い」「良い」の比喩であり、bog が「神」ではなく「運・定め」の意味で使われていた、という可能性である。スラヴ祖語の čŕ̥nъ bogъ は「悪い運」、bělъ bogъ は「良い運」だったことになる。ポーランド語やセルビア語には、今も「黒い運命」に当たる言い回しが残る。
そうであれば、ヘルモルトはこれをラテン語に niger deus、bonus deus と直訳したことになる。bog を deus と置いた瞬間に、「悪い運」は「悪しき神」になった。翻訳が神を一柱つくったのだという読みである。
視覚的な像が与えられるのは19世紀以降である。チェコの画家ミコラーシュ・アレシュは、ベロボーグ、チェルノボグ、トリグラフを並べた素描を残した(ヤン・マーハルによるスラヴ神話篇を収める『全人種の神話』第3巻、1918年に図版として収録)。今日ロシア語圏で流通する両神の対の絵の多くは、19世紀の民族的ロマン主義と、20世紀末以降のロドノヴェーリエの造形に由来する。
系譜と関係
学界の立場は、大きく四つに整理される。第一に、チェルノボグは悪魔の蔑称にすぎず、ベロボーグは後代の文学が対として作った、とする説。第二に、両者ともスラヴの神格(あるいは他の神の添え名)であったとする説。第三に、キリスト教以前に遡る語が、キリスト教の神と悪魔を指すために転用されたとする説。第四に、いずれも異教にもキリスト教にも存在しなかった偽神とする説である。
ブリュックナーは、チェルノボグは中世の悪魔像(黒い鬼)の影響下で生まれたとして実在を否定し、ヘンリク・ウォヴミャンスキがこれを支持した。スタニスワフ・ウルバンチク、アンジェイ・シィイェフスキ、スタニスワフ・ロシクらも、不運の擬人化かヘルモルトの誤解と見る。他方、アレクサンデル・ギェイシュトル、ヴャチェスラフ・イヴァノフとウラジーミル・トポロフは、この対をスラヴ宗教の実体と認める側に立つ。
19世紀には、ヘルモルトの記述を出発点に、スラヴの二元論はイラン系の民族(スキタイ、サルマタイ、あるいはボゴミル派)に由来するという構図が組まれた。チェルノボグとベロボーグはアンラ・マンユとアフラ・マズダーに重ねられ、アレクサンドル・ヒルフェルディングらがこの線で論じた。ただし彼ら自身、二元論をスラヴ宗教の中心に据えたわけではない。それを主張したのは1872年のクヴァシニン=サマーリンの好事家的な著作で、学界の評価は高くない。アレクサンドル・アファナーシエフとアレクサンドル・ファミンツィンは、ベロボーグの東方の対応をベラルーシの野の精ベルンに求めた。
一部の書物はベロボーグをスヴェントヴィトと同一視するが、根拠となる中世の記録はない。ヴェレスの書をはじめとする20世紀の偽作を経由して広まった系譜も多く、この神をめぐる情報は原典との距離をそのつど測る必要がある。
文化的足跡
1940年のディズニー映画『ファンタジア』は、ムソルグスキー『禿山の一夜』にあてた場面に「チェルナボグ」と名づけた有翼の魔物を配した。ディズニー自身はこれを「サタンそのもの」と呼んでいる。英語圏でこの神の名が通じるのは、ほとんどこの映画を通じてである。ウクライナ語には、相手を罵る言い回しとして「チェルノボグに殺されてしまえ」という表現が残る。
ヘルモルトの一文から、中世の悪魔の異名へ、19世紀の二元論の神へ、そしてアニメーションの魔王へ。記録の乏しい神格に後世が何を書き込むかという点で、この名の歩みほど分かりやすい例は多くない。