ブリガンティア
ブリガンティアー · Brigantia · Dea Brigantia
ローマ期ブリタンニア北部の部族連合ブリガンテスの守護女神。七点の碑文だけで知られ、ミネルウァの兜とウィクトリアの翼を借りた姿で表された。
解説
概要
ブリガンティア(Brigantia)は、ローマ期のブリタンニア北部で祀られた女神である。ヨークシャーからダンフリース&ガロウェーに及ぶ広大な地域を占めた部族連合ブリガンテスの守護神と理解されている。名を伝えるのは2世紀から3世紀のラテン語奉献碑文七点のみで、古典期の著述家は誰一人この女神に触れていない。資料は碑文と図像に限られる。
名はケルト語の形容詞 brigant-(高い、抜きん出た)から派生したもので、印欧祖語の bʰerǵʰ-(高くある)に遡る。ケルト祖語形は Brigantī と再建され、「高き者」「至高の者」と解される。同じ語幹はブリガンテス族の名にも、ボーデン湖畔のブリガンティイ族の名にも、大陸に無数に残る地名要素 -briga(丘、丘の砦。セゴブリガ、コニンブリガなど)にも現れる。派生形 *Brigantīnos はウェールズ語 brenin(王)の語源とされ、これは本来「部族の女神の配偶者としての王」を意味したと考えられている。
神話・物語
物語は伝わらない。知られるのは、誰がどこで捧げたかである。
碑文はハドリアヌスの長城の周辺と、ブリガンテス族の旧領に集中する。奉献者にはガリアやブリタンニアの名を持つ私人もいれば、ローマの軍人・行政官の高位者もいる。ヨークシャー西部のグリートランドとカスルフォードの二基の祭壇は、この女神をウィクトリア・ブリガンティア——勝利の女神ウィクトリアと重ねた形——と呼ぶ。グリートランドの奉献者は自らを祭祀の主宰者と記しており、この女神の神官であった可能性が高い。
長城の南の兵站基地コルブリッジでは、第六軍団の百人隊長ガイウス・ユリウス・アポリナリスが、ユピテル・ドリケヌスらとともにカエレスティス・ブリガンティアへ祭壇を捧げた。ドリケヌスもカエレスティスも東方の神格である。ミランダ・オルドハウス=グリーンは、この奉献者自身が東方の出身で、自分の神々を土地の女神と並べたのだろうと推測する。カンブリアのブランプトンでは、皇帝カラカラの安寧を祈って、皇帝財務官マルクス・コッケイウス・ニグリヌスが「ニンフたる女神ブリガンティア」に祭壇を立てた。アン・ロスは、この水の精としての姿を、土地の女神が聖泉や川と結びつくケルトの広い傾向に位置づけている。
図像と象徴
まとまった図像は一点しかない。ダンフリースシャーのローマ砦ビレンズ(ブラトブルギウム)から出た浮彫で、アマンドゥスなる人物による短い奉献銘を伴う。
女神は正面を向いて立つ。兜をかぶり、その周囲を城壁の形をした城壁冠が取り巻く。右手に槍を持ち、球を掲げ、傍らの地面には楯が置かれる。胸のあいだにはメドゥーサの首——ゴルゴネイオン——が刻まれ、背には翼がある。脇の丸い石は臍石(オムパロス)と読まれてきた。
持物の出所は明快である。兜とゴルゴネイオンはミネルウァ、翼と球は勝利の女神ウィクトリアのものである。つまり造形はことごとくローマの図像規範から借りられている。現地に固有なのは城壁冠と名だけであり、城壁冠は都市や領域そのものを擬人化する記号であって、この女神がブリガンテスの土地の守り手であることを示す。ローマの語彙で、現地の内容を語った図像である。この二重性は、ローマ期ブリタンニアの神像の多くに共通する。
名は河川にも残った。イングランドのブレント川、アングルシー島のブレイント川、アイルランドのブリード川がそれである。初期ウェールズ語の断片的な詩『ゴファラ・ブレイント』では、王の死に際してブレイント川が氾濫する。ジョン・コッホはこれを、土地の女神が支配者の配偶者であるという古い観念の反映とみる。
系譜と関係
系譜を伝える資料はない。
古アイルランド語の bríg(力、威厳)と、女神ブリギッドの名は、いずれも Brigantī と同じ語幹に遡る。この形はサンスクリットの bṛhatī——曙の女神ウシャスの添え名——と正確に対応する。両者の名が同源であることは動かないが、それが同一の女神を意味するかどうかは別問題である。Brigantī はもともと「高き者」という透明な添え名であり、複数のケルトの女神が同じ名を負っていた可能性が高い。この点からヤン・デ・フリースやジェイムズ・マッキロップは、一点の碑文だけで知られるガリアの女神ブリギンドゥーをブリガンティアと結びつけている。名の一致から神格の同一性へ跳ぶことの危うさが、ここでも問題になる。
ローマの女神に重ねられたブリタンニアの女神という点では、バースのスリスと並ぶ。スリスがミネルウァ一柱と結ばれたのに対し、ブリガンティアはウィクトリア、カエレスティス、ニンフと、碑文ごとに異なる相手と重ねられた。土地の女神が特定のローマ神に固定されず、文脈に応じて訳し分けられた例である。同じくミネルウァと重ねられたガリアのベリサマと合わせて見ると、インテルプレタティオ・ロマーナが一対一の対応表ではなかったことがよくわかる。
文化的足跡
ブリガンテスが自らの女神から部族名を得たという構図は、ケルトの諸族が神を祖とみなす広い慣行の一例として引かれる。これほど大きな連合が女神を戴いたことは、この部族における女性の地位——ローマの史料に名を残す女王カルティマンドゥアもブリガンテスの人である——をめぐる議論の材料にもなってきた。近代にはブリガンティアの名がブリタンニアの擬人像と重ねて語られることもあるが、両者は別系統の名である。