スリス
スル · スーリス · Sulis
ブリタンニアのバースの温泉に祀られた女神。ローマ期にはスリス・ミネルウァとして崇敬され、聖泉に投じられた鉛の呪詛板が信仰の実態を伝える。
解説
概要
スリス(Sulis)は、ブリタンニア西部の温泉、現在のバースに祀られた女神である。ローマ人はこの地をアクアエ・スリス(スリスの水)と呼び、女神をスリス・ミネルウァとして祀った。癒しを与える母なる神格であると同時に、聖泉に投じられた鉛板を通じて呪いを執行する神でもあった。ケルトの女神がローマの女神と名を並べて祀られた、数少ない確実な例である。
名の意味については、古アイルランド語 súil(目、視力)と同源とみる見方が近年の主流である。ケルト祖語 sūli- を立て、サンスクリット sūryah などの「太陽」を表す語群に結びつける説も出されたが、ブリトン語の「太陽」(古ブルトン語 houl、古ウェールズ語 heul)には二重母音があり、スリスの語形と合わない。ピエール=イヴ・ランベールは接頭辞 su-(良い)に動詞語根 wel-(見る)を添えた *su-wli-、すなわち「よく見る者」を提案する。中世ウェールズの人名スリエン(「スリスより生まれた」)やブルターニュの人名スルにも同じ語が残る。
表記についても議論がある。長らく Sul と読むのが標準で、この形は現在も一般向けの記述に残る。1979年、聖泉から出た鉛の呪詛板に dea Sulis という主格の表記が確認され、Sulis が正しい主格形とされるようになった。ただし確例は今なおこの一点であり、議論が完全に閉じたわけではない。
神話・物語
物語は伝わらない。この女神について知られるのは、聖泉と神殿に残された物と文字である。
バースの温泉は、ローマの到来以前からドブンニ族の信仰の場であったとみられる。バリー・カンリフが1988年に報告したとおり、遺構の最下層から鉄器時代のケルト貨幣18枚が出土しており、これが「スリス・ミネルウァ」でスリスの名が先に置かれる理由の一つとされる。ローマ期には泉のほとりに神殿が建ち、祭壇の周囲の広場では行列と供物が行われた。ミランダ・グリーンによれば、この信仰は4世紀半ばまで続いた。祭壇の火に薪ではなく石炭を焚いたことでも知られる。
泉の貯水槽からは、ローマ貨幣が1万2千枚以上、装身具、宝石、皿、鉢、軍装品、木と革の品が引き上げられている。錫合金の器が多いことから、泉の水を体に注ぎかける行為が治療の要であった可能性が指摘される。神殿の石段のそばで見つかった台座には、「女神スリスに、腸卜官ルキウス・マルキウス・メモルが献ず」と刻まれている。ブリタンニアで腸卜官の存在が確かめられる唯一の例である。
とりわけ雄弁なのが約130点の呪詛板である。大半は盗難に関するもので、浴場で衣類や小銭を盗まれた者が、犯人——名の知れた者も知れぬ者も——を罰するよう女神に求める。文面は定型的で、しばしば法廷の語法をまとう。眠りを奪い、身体の働きを止め、あるいは死に至らしめよと願い、盗まれた物が返されるか女神に献納されるまで罰を解くなと結ぶ。ある板には、手袋を二つ失ったドキメディスが、盗人が女神の神殿で正気と両眼を失うよう求めた文が刻まれている。
書き方にも特徴がある。文字や語を逆向きに綴る、語順を反転させる、行ごとに左右の向きを変えて書く(牛耕式)といった暗号的な操作が多い。錫合金の板に書かれた二点は未知の言語で、ブリトン語であればこの言語の唯一の記録となる。書体は2〜3世紀の古ローマ筆記体から4世紀の新ローマ筆記体にまたがり、R・S・G・トムリンはここから、この習俗が少なくとも二世紀にわたって続き、効き目を信じられていたことを読み取っている。
図像と象徴
1727年、バースの市街から金メッキを施した青銅の頭部が出土した。兜を欠くが、神殿の内陣に立った祭祀像の一部と考えられ、1世紀後半の作とみられる。ローマ期ブリタンニアで金メッキ青銅の遺品は他に二例しか知られていない。像は後世のいずれかの時点で意図的に損傷を受けており、蛮族の襲撃、キリスト教徒の破壊、その他の力のいずれによるかは決まっていない。
もう一つの主要な遺物が、1790年に見つかった神殿の破風である。1世紀に北ガリアの職人の手で彫られたとみられ、もとは高さ15メートルの位置に、四本の溝彫り円柱に支えられて据えられていた。中央には巨大な首が浮き彫りにされ、その周囲に海神の従者トリトン、イルカの頭を模した面頬、小さな梟、球の上に立つ勝利の女神たちが配される。
この中央の首を、ふつうゴルゴンと呼ぶ。ペルセウスが斬った首をアテーナーが胸当てに掲げた——ゴルゴネイオンの由来である以上、ミネルウァの神殿にふさわしい主題ではある。しかし決定的な問題がある。神話のゴルゴンは女性だが、この首は口髭と顎髭を蓄えた男性なのである。ケルトと古典の様式を混ぜた結果とする説明のほか、ブリタンニアの水神像との類似から海の神オケアノスとみる読みもある。エレリ・H・カズンズは2016年の論文で、勝利女神像、樫の花冠、頂点の星といった意匠が帝国の公的図像に連なることを指摘し、ローマのアウグストゥスのフォルムを範型として、ガリアやヒスパニアの同種の破風とともに理解すべきだと論じた。この破風は「ローマ的」でも「ケルト的」でもなく、地方から帝国全域までの意匠が混ざり合った産物だという読みである。
系譜と関係
系譜を伝える資料はない。
バースの神殿から出た17基の祭壇と台座のうち9基が、単独名または複合名でこの女神を呼ぶ。クロス・バスとホット・バスで見つかった二基は「スリス・ミネルウァ」と完全な形で記す。ホット・バスの一基は「女神スリス・ミネルウァに、マトゥルスの子スリヌスが、誓願を進んで果たした」と読む。奉献者の名スリヌスが女神の名から作られていることに注意したい。
ミネルウァと重ねられたケルトの女神はスリスだけではない。ブリタンニアではセヌアの奉献板がミネルウァの図像を伴い、ブリガンティアもミネルウァの持物を共有する。ガリアではベリサマがミネルウァと同一視された。もっとも、ブリタンニアと大陸で見つかるミネルウァへの奉献の大半は現地の添え名を伴わず、ベリサマやスリスのような明示的な組み合わせはむしろ例外である。ケルトの女神は、男神に比べて習合に馴染みにくかったと指摘される。マルスやメルクリウスが数多くのケルト名と結ばれたのとは対照的である。
語源が「目」あるいは「太陽」に関わる可能性、視覚や誓約との結びつき、光に関わる添え名などから、ローマ以前のスリスを太陽の女神とみる説がある。スレウィアエなど類似の名の女神群を同じ神格の各地の現れとする議論もあるが、いずれも語源の解釈に大きく依存しており、確定していない。
文化的足跡
バースのローマ浴場は18世紀以降に再発見され、19世紀末の発掘で神殿と聖泉の全容が明らかになった。金メッキの頭部と破風のゴルゴンは、いまや同地の博物館の中心的な展示である。呪詛板は2014年、ユネスコ「世界の記憶」の英国国内登録に加えられた。ローマ期ブリタンニアの遺物としては唯一の例である。これらはローマ期の属州における日常の信仰と紛争を伝える資料として、宗教史よりむしろ社会史の側から読まれている。現代の異教復興の実践者のなかには、この女神への信仰を継ぐ者もあり、泉に供物を投じる習慣は20世紀末にも記録されている。