白沢
白澤 · ハクタク · 白沢図
中国に伝わる瑞獣。人の言葉を解し万物の知識に通じるとされ、黄帝に天下の妖異を語ったという伝説から、その図像が魔除けとして用いられた。
解説
概要
白沢(はくたく、白澤 / Báizé)は、中国に伝わる瑞獣である。人の言葉を解し、万物の知識に通じるとされる。徳の高い為政者の治世に姿を現すという点で麒麟や鳳凰と同類に数えられるが、白沢に固有なのは知識の獣という性格であり、そこから派生して、その姿を描いた図が魔除け・病除けの護符として用いられた。日本にも早く伝わり、近世には旅の守りや枕元の呪具として広く流通した。
黄帝と『白沢図』
白沢の名を決定づけたのは、黄帝との遭遇譚である。葛洪『抱朴子』極言篇はすでにこれに触れ、宋代の『雲笈七籤』が引く『軒轅本紀』は、黄帝が東方を巡狩して海辺に至り、能く言葉を話し万物の情に通じる白沢を得たと記す。黄帝が天下の神鬼のことを問うと、白沢は精気が物となり遊魂が変じたもの、あわせて一万一千五百二十種について語り、黄帝はこれを図に写させて天下に示したという。こうして成ったとされる書物が『白沢図』である。
『白沢図』は伝説上の書ではなく、実在した。『捜神記』には、諸葛恪が山中で子どものような姿の怪に出会い、その正体と対処法を『白沢図』の記述によって言い当てたという逸話がある。ただし北宋のころに散逸し、現在は諸書に引かれた逸文が残るのみである。二十世紀初頭、敦煌の莫高窟から関連する文書(白沢精怪図)が発見され、それらを手がかりとした復元の試みが続けられている。妖異の名と姿と対処法を列挙するその内容は、図録というより実用の手引きに近い。
図像と象徴
白沢の姿は資料によって一定しない。明の『三才図会』や、これを承けた日本の『和漢三才図会』は、白い獅子のような獣として描く。『元史』は虎の頭に赤いたてがみ、竜の体に一角を備えるとし、竜と虎の要素を併せた造形を伝える。
日本では、これとは別に多眼・多面の白沢像が発達した。鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』の白沢は、牛のような二本の角を戴き、下顎に山羊のような髯を蓄え、額にもう一つの眼をもち、さらに胴の左右にそれぞれ三つの眼を備える。三眼以上の白沢は石燕以降に確認されるもので、それ以前の『怪奇鳥獣図巻』の白沢は眼が二つであり、麒麟の体躯を頑丈にしたような姿に描かれる。福原五岳が天明五年(一七八五年)に描いた「白沢避怪図」は三面九眼の姿をとり、十八世紀の日本ではこの型が標準となった。もっともその由来は明らかでない。
護符としての白沢
唐代以降、白沢そのものの図が辟邪の絵として信仰された。天子の儀仗には白沢旗が掲げられ、『通典』はその配置を記す。『新唐書』五行志は、韋后の妹が魔除けに白沢の枕を用いたことを服妖として記録している。
日本では、八隅蘆菴『旅行用心集』のように旅の心得を説く書に白沢の図が載り、道中の守りとして携えられた。病魔除けとして枕元に置く習俗もあり、安政五年(一八五八年)のコレラ流行に際しては、白沢の絵を枕元に敷いて寝るよう説く刷り物が出回った。日光東照宮拝殿の将軍着座の間の杉戸にも白沢が描かれている。
獏との混同
邪を退け、枕元に置かれ、絵姿が護符となるという性格を共有するため、白沢は日本でしばしば獏と混同されてきた。東京・目黒の五百羅漢寺に伝わる「獏王」像も、本来は白沢の像とされている。両者は本来別の獣であり、白沢は知識によって妖異を防ぐ獣、獏は悪夢そのものを食う獣である。
文化的足跡
清の劉璋『斬鬼伝』では、白沢は鬼を捕らえる神鍾馗の乗り物として登場する。あらゆる妖異を知る獣と、それを打ち払う神との取り合わせである。
『白沢図』の逸文は、中国古代の妖怪観を知るうえで重要な資料として研究されてきた。近年は日本の漫画作品を通じて白沢の名が広く知られるようになり、それを機に『白沢図』を主題とする学術書が異例の売れ行きを示すという現象も起きている。