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鍾馗
PLATE — 鍾馗
SINÆ · 中国神話・道教
鍾馗

鍾馗

しょうき · 駆魔真君 · 終南進士

龔開筆『中山出遊図』(元)部分/Freer Gallery of Art PUBLIC DOMAIN

中国の民間伝承に伝わる道教系の神。鬼を捕らえて食う髭面の官人の姿で描かれ、その画像は疫病と邪気を退ける護符として東アジアに広く伝わった。

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解説

概要

鍾馗(しょうき、鍾馗 / Zhōng Kuí)は、中国の民間伝承に伝わり、のちに道教の神格に取り込まれた鬼神である。長い髭を蓄え、官人の衣冠をまとい、剣を提げ、大きく見開いた眼で何かを睨みつける――この姿がほぼ例外なく守られる点で、中国の神格のなかでも際立って図像が安定している。その画像そのものが辟邪の効力をもつと信じられ、門に貼り、屏風に立て、屋根に据えるという形で、絵の用途と信仰が一体になった珍しい神である。

玄宗の夢

もっとも広く流布した縁起は、唐の玄宗の夢の話である。現存最古の記録は北宋の沈括『夢渓筆談』補筆談で、唐の呉道玄(呉道子)が描いたと伝わる鍾馗像とその題記を伝える。病臥した玄宗の夢に小鬼が現れ、楊貴妃の香嚢と玄宗の玉笛を盗んで殿内を逃げまわる。そこへ髭を蓬々と生やした大鬼が現れて小鬼を捕らえ、その眼をえぐって呑み込んだ。正体を問うと、大鬼は終南山の鍾馗と名乗り、科挙に落第したのを恥じて宮中で命を絶ったが、高祖が手厚く葬ってくれた恩に報いるために来たと答えた。目覚めた玄宗は病が癒えており、呉道玄に命じて夢に見たままの姿を描かせた――というのが筋である。

明の『天中記』が引く『唐逸史』でこの話は定型化するが、細部には異同がある。受けた試験を文の科挙とするか武挙とするかで記述が割れ、自死の場所も殿前の石階とするものがある。年代の合わない登場人物を含む後代の小説(劉璋『斬鬼伝』など)もあり、縁起譚は一つに定めがたい。

名の由来をめぐって

学問上は、鍾馗を実在の人物とみる説はとられていない。清の顧炎武は、鍾馗の名は鬼を逐う法器「終葵」に由来すると論じた。終葵は「椎(つち)」の反切であり、儺(な)の儀礼で鬼を打つ木槌を指す。『春秋左氏伝』定公四年に殷の遺民の氏族として「終葵氏」の名が見えることから、椎をもって鬼を逐う氏族の名が辟邪の語となり、やがて鍾葵・鍾馗と表記されて人格神へ転じた、という筋道である。李時珍はこれとは別に、『爾雅』が鍾馗を菌(きのこ)の名とすることに着目し、椎の形に似た菌の名が転用されたと考えた。

いずれの説をとるにせよ、鍾馗信仰が唐代にはすでに実在したことは動かない。張説「謝賜鍾馗及暦日表」や劉禹錫の同種の表は、歳末に臣下が鍾馗図と暦を賜る慣例を伝え、敦煌から出た『除夕鍾馗駆儺文』は、鍾馗が除夜の儺儀で鬼を逐う主役を演じていたことを示す。図像が先にあり、その由来を説明するために玄宗の夢の物語が編まれた、と見るのが自然である。

図像と象徴

鍾馗図の原型は呉道玄の構図とされ、初期の作例はその模倣を主とした。元の龔開が描いた『中山出遊図』は、鬼を従えて輿で行く鍾馗と妹を描いた長巻で、この画題が単なる護符を超えて文人画の主題となったことを示す名品である。明代に『鍾馗全伝』などの小説が流行すると図様は多様化し、虎に跨る騎虎図、蝙蝠を従えて福を招く吉祥図、鬼を従えて嫁入り行列を行く「鍾馗嫁妹」など、変奏が次々に生まれた。五匹の蝙蝠は五福(長寿・富・健康・徳・天寿)を表し、鬼が捧げる花瓶は平安を、珊瑚は富を意味する。降魔の神に招福の役割が重ねられていく過程が、そのまま図像に刻まれている。

掛ける時期も一定ではない。唐宋では歳末から新年にかけて門に貼られ、宋代には年末の大儺にも用いられた。端午の節句に掛ける風習が広まるのは明末清初以降で、『燕京歳時記』は端午の市で鍾馗や天師の像を刷った黄紙が売られ、人々が争って買い求めて門に貼ったさまを記す。閩南や台湾には、道士や芸能者が鍾馗に扮して剣を振るう「跳鍾馗」の儀礼が伝わる。

日本での鍾馗

日本への流入の経緯は明らかでないが、平安時代末期の国宝『辟邪絵』のうちに鍾馗を描いた一図があり、これが最古の作例とされる。室町時代以降は漢画の画題として画師に好まれた。民間に広がるのは近世で、江戸時代末ごろから関東では鍾馗を端午の節句の五月人形に仕立て、近畿では魔除けとして瓦製の鍾馗像を屋根に据える風習が現れた。京町家の大屋根や小屋根の軒先に十数センチの鍾馗が立つ光景は、いまも京都で見ることができる。三条の薬屋が立派な鬼瓦を葺いたところ向かいの家の住人が病に倒れ、鬼より強い鍾馗を据えたところ快癒した、という由来が語られる。石見神楽には演目「鍾馗」があり、疱瘡除け・学業成就の神としても信仰された。

関わる伝承

清の劉璋『斬鬼伝』では、鍾馗は瑞獣白沢を乗り物とする。鬼を捕らえる神と、あらゆる妖異を知る獣との取り合わせは、降魔の主題における知と力の分担を示していて興味深い。日本では、鍾馗の勇猛さにあやかって本多忠勝や前田利家が鍾馗を旗印に用い、上杉の家臣斎藤朝信は「越後の鍾馗」と称された。現代でも民家の屋根、五月人形、神楽の面として、この神の姿は生活のなかに残っている。

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領分・別名

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資料

Wikidata
Q1092708 — 骨格データの出典
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Zhong Kui — 図像カテゴリ