アスタロト
アシュタロト · アステロト · アスタロス
近世ヨーロッパの悪魔学で大公爵とされた悪魔。名は西アジアの女神アシュトレト(アスタルテ)に由来するが、悪魔としては男性の姿で語られる。女神が悪魔へ、女性が男性へと二重に転じた例である。
解説
概要
アスタロト(Astaroth)は、近世ヨーロッパの悪魔学において高位に置かれた悪魔である。名の起源は西アジアの女神アシュトレト——ギリシア語形アスタルテ——にあり、『士師記』はこれをバアルと並べて言及する。ただし悪魔としてのアスタロトは男性として語られる。神が悪魔に転じただけでなく、性別まで移り変わった。一神教の伝承における悪魔化が、元の像をどれほど遠くまで動かしうるかを示す例である。
神話・物語
悪魔としてのアスタロトに、まとまった物語はない。あるのは目録の記述である。ヨーハン・ヴァイヤー『悪魔の偽王国』(1577年)は、四十の軍団を率いる強壮な大公爵とし、過去と未来を見通し、質問者に教養学を教えるとする。同時に、天使がいかにして堕ちたかを語りながら、自分は望んで堕ちたのではないとも述べるという。魔術書『ゴエティア』は序列29番に置き、ほぼ同じ記述を繰り返す。
肩書は文献ごとに揺れる。『大奥義書』は皇帝ルシファー、君主ベルゼビュートと並ぶ地獄の三支配者の一人とし、『真正奥義書』も同じ三者を挙げてアメリカに住まうとする。アグリッパ『隠秘哲学』(1533年)では「告発者・審問官」と呼ばれる第8位階の君主、セバスチャン・ミカエリス『驚嘆すべき憑依の物語』(1612年)では堕天した座天使の位階の君主で怠惰を司る、とされる。目録ごとに位が違うこと自体が、この悪魔の実体である。
13世紀の聖人伝集『黄金伝説』には、インドの神殿に祀られた偶像神の名としてアスタロトが現れる。使徒バルトロマイがそこに宿ると、あらゆる病を癒すと偽っていた神像のなかの魔神は沈黙したという。
図像と象徴
定型は、巨大な竜あるいは竜に似た獣にまたがり、右手に毒蛇を握った天使の姿である。口から毒気ないし耐えがたい悪臭を吐くため、近寄らせるのは危険とされた。ルイ・ル・ブルトンが『地獄の辞典』第6版(1863年)に描いた挿絵はこの記述に忠実で、今日この名から思い浮かべられる姿をほぼ独占している。ベルゼブブの傍らに驢馬の姿で現れることもあるという。
系譜と関係
名の系譜には注意が要る。アスタロトの元となったアシュトレト(アスタルテ)と、アーシラト(アシェラ)は、しばしば混同されるが別の女神である。アシュトレトはイシュタルやアプロディーテーと起源を同じくすると考えられている愛と豊穣の女神であり、ミルトン『失楽園』第1巻も、堕ちた天使たちを数え上げるなかで「フェニキア人が天の女王として崇めたアスタルテ」に言及する。フレッド・ゲティングズは、この女神がエジプトで獅子頭の戦神として表されたことが悪魔視の背景にあると論じた。
文化的足跡
カバラのクリフォトでは、ケセドに対応するガムキコトの長として名が挙がる。コラン・ド・プランシーが紹介する地獄の宮廷では、アスタロトは大主計、すなわち会計を司る役に置かれている。悪魔に爵位と官職を割り振るというこの発想は、近世ヨーロッパの宮廷そのものを写したものである。地獄の構造は、それを書いた社会の構造を映している。