マトレス
マトロナエ · マトローナ · 母神たち
ローマ期の北西ヨーロッパで祀られた三人一組の母神たち。千百点を超える奉献碑が残るが物語は一つも伝わらず、名も「母たち」に土地の添え名を付した形にとどまる。
解説
概要
マトレス(ラテン語 Matres、「母たち」)およびマトロナエ(Matronae、「奥方たち」)は、北西ヨーロッパで祀られた女神たちの総称である。後1世紀から5世紀にかけての遺物が残る。
奉献物と祭壇に女神の像が刻まれ、そのほとんどが三人一組で表される。碑文に記された名は、およそ半分が大陸ケルト語系、残りの半分がゲルマン語系である。ゲルマニア、東ガリア、北イタリアなど、1世紀から5世紀にかけてローマ軍が駐屯した地域で祀られた。
神話・物語
物語は一つも伝わらない。この女神たちについて知られていることは、千百点を超える石そのものから読み取られたものに限られる。
分布は広い。南東ガリアではウェルティッルム(現ヴェルトー)に作例があり、スペインとポルトガルからは二十ほどの碑文が知られ、そのなかには「ガリシアの母たちに」(Matribus Gallaicis)のような土地の添え名を含むものもある。パンノニアのローマ都市プトゥイ(下シュタイアーマルク)では、同種の浮彫と碑文が「尊きヌトリケス」(Nutrices Augustae、「august な乳母たち」)の名で現れる。
祭祀の実態を伝える文献はない。分かるのは、奉献の石が単独ではなく、神殿建築や祭祀の中心地の周囲にまとまって見つかるということである。信仰が個人の願掛けにとどまらず、場所を持っていたことになる。
図像と象徴
本サイトが掲げるのは、東フランス・ブルゴーニュのヴェルトーから出土した三女神像である(ビブラクト、ケルト文明博物館蔵)。
図像には強い定型がある。すべて正面向きで、ほぼ例外なく三人一組。少なくとも一人は膝に果物の籠を載せる。立っていることも、坐っていることもある。中央の像が髪を垂らして額帯を締め、両脇の二人が頭飾りをつけて描かれる例がある。ほかに蛇、子ども、そして襁褓(おむつ)が現れる。供犠の場面——香を焚く、豚、果物を盛った鉢——や、果実・植物・樹木の装飾も見られる。
ルドルフ・シメクはこれらの細部を次のように読む。垂らした髪は未婚を、頭飾りは既婚を指すのではないか。蛇は死者の魂あるいは冥界との結びつきを示すのではないか。そして子どもと襁褓は、この女神たちが家族を守る働きと、とりわけ産婆としての役割を担っていたことを示唆するのではないか、と。
正面向きという点も見逃せない。ローマの神像は横向きや斜めの姿勢を多用するが、この三女神は必ず見る者と向き合う。祈る側との関係が、姿勢そのものに組み込まれている。
関わる神格・伝承
三柱一組の女神という型は、古代ヨーロッパに広く見られる。ギリシアのモイライ、ローマのパルカエ、北欧のノルン、エリーニュス、カリテス、モリガン、ホーラー、そしてインドのトリデーヴィーやマートリカー。ただし形が似ていることと、系統がつながることは別の問題である。
近い関係にある神格としては、ガリアのマトロナ女神(現マルヌ川の名祖)、ライン下流域のネヘレニア、スレウィアエ、ウェールズのモドロン、北欧のディーシルとイディシ、そしてアングロサクソンの「母たちの夜」(Mōdraniht)が挙げられる。ケルトとゲルマンの双方に足をかけた信仰であり、どちらか一方の伝統に還元することはできない。
文化的足跡
千百点という遺物の数は、ローマ期の北西ヨーロッパで最も広く祀られた神格の一つであったことを意味する。にもかかわらず、この女神たちには名前らしい名前がない。碑文が記すのは「母たち」という普通名詞に土地や氏族の添え名を付けた形である。
物語を持たず、個体の名を持たず、それでいて千を超える石を残した。神話を文献から読む方法だけでは届かない信仰が、ローマ期の属州には確かにあったことを、この三女神は示している。