母なる湿れる大地
母なる湿った大地 · 湿れる大地の母 · マーチ・スィラ・ゼムリャー
スラヴにおいて人格化された大地。生きとし生けるものの母であり、天と対をなす。神殿も神話も残さなかったが、誓いと懺悔と農耕の禁忌のなかに、千年にわたって現れ続けた。
解説
概要
母なる湿れる大地(Мать — сыра́ земля́ / Mat Syra Zemlya)は、スラヴにおいて人格化された大地である。ウクライナでは「大地、聖なる母」、セルビアでは「母なる大地」と呼ばれる。生きとし生けるものと草木の母であり、豊穣の中心とされた。
「湿れる」という形容が要である。この呼び名が指すのは大地一般ではなく、天の水に潤され、産む用意の整った大地である。それゆえロシアの宗教詩は、干上がって実らぬ大地を寡婦にたとえる。対をなすのは人格化された天、あるいは雷神である。「高きは父、低きは母」——ポーランドの謎かけはそう言う。ブルガリアでは、月は天と大地のあいだに生まれた子とされた。
スラヴ神話の他の神格と決定的に違う点がある。この存在には神殿がなく、祭司がなく、まとまった神話がない。あるのは呼び名と、それに向けられた所作だけである。だからこそ、これを一柱の女神と呼んでよいかどうかは、今も議論の的である。
神話・物語
物語の代わりに残ったのは、言い回しと禁忌である。
「嘘をつくな、大地が聞いている」。「大地を打つのは罪だ、われらの母なのだから」。「大地は生ける者を養い、死せる者を懐に迎える」。ロシアの諺はこの調子で数十を数える。呪文にも現れる。「母なる湿れる大地よ、汝はあらゆる鉄の母である。鉄よ、汝の母なる大地へ帰れ」——傷や武器を鎮める呪いである。呪文のなかで大地はタチヤーナ、水はウリヤーナという人の名で呼ばれることもあった。
境界を踏む所作もある。土を口に含み、あるいは頭に載せて誓う。この誓いは破れない。人は土から造られ、土に還る——ベラルーシには、棺に最初のひと掬いの土が落ちたとき、魂はようやく体を離れるという言い伝えがある。
そして大地への懺悔である。司祭にではなく大地に向かって罪を告白するこの習俗は、14世紀末、ノヴゴロドとプスコフの異端を論駁した文書のなかで名指しで糾弾されている。大地は魂なき被造物であって聞くことも答えることもできない、ゆえに神は赦しを与えない——と。教会がここまで書いたということは、それが行われていたということである。
『ママイ合戦物語』では、クリコヴォの戦いを前にして大地が涙を流す。ルーシの者とタタールの者と、双方の子らの死を悼んで、である。
図像と象徴
神像はない。図像として引き合いに出されるのは、ロシア北部やカルーガの刺繍に繰り返し現れる文様——両腕を上げた女の姿を、二頭の馬あるいは騎手が挟む——である。本ページに掲げたのも、ベルゴロド民俗文化博物館が所蔵するカルーガの刺繍である。
ただし断っておかねばならない。この文様を大地母神の像と読むのは、20世紀の研究者による解釈である。刺した女たちが何を思って刺したのかは記録されていない。同じ文様をモコシと読む説もあり、単なる装飾の定型と見る説もある。この不確かさは、この項目全体につきまとうものと同じである。
象徴の焦点は、受け入れることにある。種を受けて孕み、実らせる。死者を受けて懐に納める。ロシアの謎かけが「すべての者に共通の母」と呼ぶのはこの二重の受容ゆえであり、大地を打つこと、祝日に掘ること耕すことが禁じられたのも、母の体を傷つける行為と見られたからである。
系譜と関係
原初年代記に名の残るモコシとの関係は、しばしば論じられながら決着していない。モコシは980年のキエフの神々の一群に名を連ねる神格であり、母なる湿れる大地は名の残らない遍在の呼称である。両者を同一とする説、モコシを大地母神の一つの現れとする説、無関係とする説がいずれも唱えられている。安易に重ねないほうがよい。
より確かなのは、印欧語族のなかでの位置である。リトアニアのジェミナはロシア語のゼムリャー(大地)と直接に対応する語であり、ギリシアのデーメーテールも古ルーシ語「大地の母」の言語的な等価物と見られてきた。イランのアナーヒターも並べられる。トポロフはこれらからバルト・スラヴ祖語の大地母神像の復元を試みている。
叙事詩の世界では、この大地はミクーラ・セリャニノヴィチの一族を愛する者として現れる。農夫を打ち負かせないのは、大地が味方するからである。天と対をなす配置においては、ペルーンがその相手にあたる。
文化的足跡
キリスト教受容ののち、この存在は生神女マリヤと重なっていった。19世紀ロシアの農村では、養い産む大地の像は聖母の像とほとんど区別されない。金曜を司る聖パラスケヴァとも結びつき、受難のとき地が震えたゆえに金曜に土を騒がせてはならないと語られた。大地が「名の日」を迎えて閉じ、受胎告知に開くという民俗暦の観念も広く行われ、その日には掘ることも耕すことも杭を打つことも禁じられた。二重信仰の最も長く続いた例の一つである。
文学ではドストエフスキーが『罪と罰』にこれを持ち込んだ。ソーニャはラスコーリニコフに、汚した大地に口づけし、声に出して罪を言えと命じる。19世紀の民俗誌家コリンフスキイとマクシーモフが章を割いて記録したこの信仰は、20世紀のロシア文学と現代の土着信仰にも受け継がれている。ただし、素朴で温かな大地母神という像そのものが19世紀の構築物ではないか——という問いも、近年の研究からは投げかけられている。