フェーローニア
フェロニア · フェローニア
サビニ人とエトルリア人が崇めた野生と豊穣の女神。解放奴隷の守り神とされ、その聖域では奴隷が自由を得たと伝えられる。
解説
概要
フェーローニア(Fērōnia)は、サビニ人・エトルリア人・ファリスキー人が崇め、のちにローマの祭祀に取り込まれた女神である。野生の自然と豊穣、健康、そして自由を司る。名はラテン語の ferus(飼い慣らされていない、野の)に対応するサビニ語の形容詞に由来するとされ、その聖域が人里を離れた森であったことと響き合う。祭は11月13日、平民競技(ルーディー・プレーベイイー)の期間に営まれた。
神話・物語
物語は乏しい。その代わり、この女神をめぐる逸話は場所の性格を語るものが多い。
テッラキーナ近くの聖域について、セルウィウスは次のように伝える。火が森を焼き払い、人々が神像を他所へ移そうとしたとき、焼けた木々が突然に緑を吹き返した。プリニウスは、この聖域と町とのあいだに戦時の望楼を建てようとする試みが、ことごとく落雷で破壊されたと記す。人里との連続を拒む神、という像がここにある。
もう一つの顔は、自由である。ウァッローはこの女神を自由の女神リベルタスと同一視した。セルウィウスは解放奴隷の守護神(デア・リーベルトールム)と呼ぶ。テッラキーナの聖域の石には「功ある奴隷は座れ、立つときには自由であるように」と刻まれていたという。リウィウスは、前217年に解放された女たちが金を集めてこの女神に献じたことを記録している。リーベルと同じく、自由の観念に結びついた神格が平民と解放奴隷に支持されたことになる。
ウェルギリウス『アエネーイス』では、この女神の森から出た軍勢がトゥルヌスの側に立って戦う。またアルカディアの王エウアンドロスが、若き日にフェーローニアの子エルルスを討った話を語る。ゲーリュオーンと同じく三つの体と三つの魂を持っていたため、三度殺さねばならなかったという。この人物は他の文献に現れない。
図像と象徴
アウグストゥスの貨幣官プブリウス・ペトローニウス・トゥルピリアーヌスが打たせたデナリウス銀貨は、冠を戴き頸飾りをつけた女神の横顔に FERON の銘を添えており、名によって同定できる数少ない図像である。サビニ出身の貨幣官が自らの出自を示すためにこの女神を貨幣へ刻んだ例も知られる。
聖域の性格は、図像よりも立地に現れている。テッラキーナの森、ソラクテ山麓のルークス・フェーローニアエ——いずれも耕地の外にあり、そこへ収穫の初穂が運ばれた。飼い慣らされていない自然の力を、人の役に立つ形へ差し向ける神である、というのがジョルジュ・デュメジルの読みであった。彼はこの点でフェーローニアをヴェーダのルドラと比べ、ただしルドラが危険と有用性の両面を持つのに対し、フェーローニアには恵む側の働きしか残っていないと述べている。
系譜と関係
系譜はほとんど語られない。ウェルギリウスがエルルスを子とするほかは、親も配偶も伝わらない。祭日を同じくするプラエネステのフォルトゥーナ・プリーミゲニアとは並べて祀られた。ソラクテ山麓の聖域ではソーラーヌスと祭を共にし、その祭司ヒルピー・ソーラーニーが熱い炭の上を歩く行事もこの女神の聖域で行われたと、ストラボンは伝えている。地下の神と野の女神が同じ場所を分け合っていたことになる。
サビニ人の女神という性格から、前3世紀初めにマニウス・クリウス・デンタートゥスがサビヌムを征服した際に、ローマの祭祀へ入ったとする説がある。
文化的足跡
ローマ側の記録は、この女神をもっぱら平民と解放奴隷の神として扱った。祭が平民競技の期間に置かれていたことも、その位置を示している。ルークス・フェーローニアエの遺跡はローマ北方のカペーナ近郊に残り、発掘によって奉献品の層が確かめられている。テッラキーナの聖域は、奴隷が自由を得た場所という伝承とともに、近代の奴隷制をめぐる議論のなかでもしばしば引かれてきた。