アプシュルトス
アブシュルトス · アプシュルトゥス · Absyrtus
コルキス王アイエーテースの子でメーデイアの弟。姉たちの逃走を助けるために殺され、その遺体は追手を遅らせるために用いられた。
解説
概要
アプシュルトス(Ἄψυρτος / Apsyrtus)は、コルキス王アイエーテースの子で、メーデイアの弟である。アブシュルトスとも表記される。姉がイアーソーンとともに金羊毛を奪って逃れる際に殺され、その遺体は追跡を遅らせるために用いられた。
登場するのはこの一場面だけだが、そこで犯された血の穢れが、以後の物語をかたちづくる。
登場する物語
殺害の次第は伝承によって大きく割れる。アポロドーロスに代表される版では、アプシュルトスは幼い子であり、メーデイアが逃走のときに連れ出して船上で殺し、四肢を切り刻んで海に撒いた。父が我が子の断片を拾い集めているあいだに、アルゴー船は逃げおおせる。
ロドスのアポローニオス『アルゴナウティカ』では事情が異なる。アプシュルトスは追手の艦隊を率いる成人した将であり、アドリア海の島で交渉に応じたところをメーデイアが罠に誘い込み、イアーソーンが討った。イアーソーンは遺体の指と足指を切り落とし、殺人の穢れを祓う古い作法(マスカリスモス)に従ったうえで葬った。指を落とすのは、死者が復讐できないようにするための儀礼と説明される。
いずれの版でも、この殺害はゼウスの怒りを招いた。神は嵐を送ってアルゴー船を進路から吹き流し、船に据えられたドードーナの神木が自ら語って、キルケーのもとで祓いを受けるよう命じたという。キルケーは仔豚の血を用いて二人を清めたが、罪そのものを免じたわけではない。メーデイアの物語が身内の血から始まり、身内の血で終わることを、この挿話は先取りしている。
なお、アプシュルトスがパイデーロースやメーガロスの別名で呼ばれたとする伝えもあり、アドリア海のアプシュルティデス諸島(現在のクロアチアのツレス島とロシニ島)は彼の名を負うと説明された。
図像と象徴
アプシュルトスを名指した古代の作例は知られていない。ギリシアの陶画がアルゴナウタイの物語から選んだのは竜との対決やピーネウスの救出であり、この殺害は避けられている。ローマ期のローマ石棺の浮彫にも、メーデイアの物語は子殺しとグラウケーの死を軸に構成され、弟の死は含まれないのが通例である。
近世以降、追手を遅らせるために遺体を撒くという細部が残酷譚として繰り返し語られたが、絵画の主題となることは少なかった。本項では主画像を置いていない。
関係する神格・退治した英雄
父アイエーテース、母は海の女神エイデュイアともアステロデイアとも伝えられる。姉にメーデイアとカルキオペー。カルキオペーの夫はプリクソスであり、金羊毛をもたらした一族とアプシュルトスは義理の関係で結ばれている。
文化的足跡
肢体をばらまいて追跡を遅らせるという策は、後世しばしば「アプシュルトスの計」として言及された。オウィディウス『黒海からの手紙』をはじめラテン文学が繰り返し引き、残酷さの極みを示す常套句として用いられている。