プリクソス
プリクソス · プリュクソス · Phrixos
継母の企みから黄金の羊に乗って逃れ、コルキスに至った王子。羊をゼウスに捧げ、その毛皮が金羊毛となった。
解説
概要
プリクソス(Φρίξος / Phrixus)は、ボイオーティアのオルコメノス王アタマースと雲の女神ネペレーの子である。妹ヘレーとともに継母イーノーに命を狙われ、黄金の羊に乗って東方のコルキスへ逃れた。この羊の毛皮が金羊毛であり、アルゴナウタイの航海はこれを取り戻すために企てられる。物語の連鎖の起点に立つ人物である。
神話・物語
アタマースの後妻となったイーノーは継子二人を憎み、土地の女たちに種麦をひそかに焙らせて作物が実らないようにした。原因を問う使者を買収し、プリクソスを犠牲に捧げよという神託が下ったと言わせる。飢饉に脅えた民の求めで、兄妹は山頂へ引き立てられた。
そこへ実母ネペレーの遣わした黄金の羊が現れ、二人を背に乗せて飛び去った。羊の名はクリューソマロス(「金の毛の」)と伝えられる。ヨーロッパとアジアを分かつ海峡の上で、ヘレーは背から落ちて溺れ、その海はヘレースポントス(ヘレーの海)と呼ばれるようになった。
プリクソスだけが黒海の東岸コルキスに至り、王アイエーテースに迎えられて娘カルキオペーを妻とした。彼は羊をゼウスに捧げ、その毛皮を王に贈る。アイエーテースはこれをアレースの杜の樫に打ちつけ、眠らぬ竜に守らせた。
犠牲を逃れた者が犠牲を捧げる側に回るという構図は、この物語の核心にある。人身供犠が動物供犠に置き換えられる由来譚として読む解釈は古くからあり、イサクの燔祭との類似がしばしば指摘されてきた。ただし両者を系統的に結びつける根拠はなく、供犠の代替という発想が広く生じうることの現れと見るべきものである。
なお、プリクソスの子アルゴス——同名の船大工とは別人とされることも同一視されることもある——が、のちにイアーソーンのためにアルゴー船を造ったとする伝えがある。金羊毛をコルキスへ運んだ者の子が、それを取り返す船を造ったことになる。
図像と象徴
古代美術で好まれたのは、羊に乗って海を渡る場面である。本項に掲げたのは、ポンペイ出土の壁画(1世紀、54×48センチ、ナポリ国立考古学博物館)で、翼ある黄金の羊にすがるプリクソスと、海に落ちかけたヘレーが描かれる。兄が羊にしがみつき妹が落ちるという構図は、この主題の定型となった。
ローマ期の石棺や銀鏡の浮彫にも同じ場面が現れる。落下する妹の姿が画面に動きを与えるため、絵にしやすい主題であったと考えられる。逆に、コルキスで羊を捧げる場面はほとんど描かれない。物語のうえで決定的なのはそちらであるにもかかわらず、である。
系譜と関係
父アタマース、母ネペレー。妹ヘレー。継母イーノー。妻はアイエーテースの娘カルキオペー。子にアルゴス、メラース、プロンティス、キュティッソーロス。メーデイアは妻の妹にあたり、イアーソーンがコルキスへ着いたとき、プリクソスの子らはすでに王家の一員として現地にいた。金羊毛をめぐる二つの世代が、ここで血縁によってつながっている。
文化的足跡
黄金の羊は、のちにおひつじ座に上げられたと伝えられる(カタステリスモス)。ヘレースポントス——今日のダーダネルス海峡——の名は、妹の落ちた場所としてこの物語から取られた地名であり、ギリシア人にとってヨーロッパとアジアの境を示す語であり続けた。