アンタイオス
アンタエウス · アンティ
リビュアに住んだギリシア神話の巨人。ポセイドーンとガイアの子で、大地に触れているかぎり無敵だった。ヘーラクレースに宙へ抱え上げられて絞め殺された。
解説
概要
アンタイオス(Ἀνταῖος / Antaios)は、リビュアの内陸に住んだ巨人である。名は「立ち向かう」を意味する動詞に由来する。ポセイドーンとガイアの子で、母である大地に触れているかぎり力が尽きない。通りかかる者に片端から相撲を挑み、倒した相手の頭蓋骨で父ポセイドーンの神殿を葺いたという。
ギリシアの相撲は、相手を地面に倒すことで勝ちとする競技である。地に着くことが敗北の条件である以上、地に触れると力を回復する相手には原理的に勝てない。この物語は、競技の規則そのものを裏返して作られている。
登場する物語
ヘーラクレースはヘスペリデスの園の黄金の林檎を求める功業の途上、あるいはゲーリュオーンの牛を追う旅の途上でリビュアを通り、アンタイオスに挑まれた。何度投げ倒しても、相手は前より強くなって立ち上がる。ヘーラクレースはやがて、大地との接触が力の源であることを見抜いた。
そこで彼は組み伏せるのをやめ、相手を宙に抱え上げる。足が地を離れた瞬間から力は戻らない。ヘーラクレースはそのまま締め上げて息の根を止めた。棍棒も毒矢も使わず、相手の力の仕組みを見抜くことだけで勝つという点で、彼の武勲のなかでも異色の一戦である。
ローマ期の伝えはこの筋に土地の記憶を接ぐ。ヘーラクレースはアンタイオスの妻ティンゲーと交わり、生まれた子ソファクスが母の名を取ってティンギス(現タンジェ)の市を建てたという。北アフリカの王ユバ2世は、この血筋を自らの家系として主張した。
図像と象徴
アッティカを中心とする前6世紀の壺絵が最も早い作例である。アンタイオスは長い髭と毛深い体で描かれ、髭のない整った身体のヘーラクレースと対比される。画面の制約から巨体はしばしば圧縮され、二人はほぼ同じ大きさで組み合う。傍らにアテーナーやヘルメース、あるいは名のない男女が立ち会うことも多い。
最も名高い作例が、エウプロニオスの赤絵クラテール(前515〜510年頃、ルーヴル美術館 G103)である。ヘーラクレースが膝で相手を押さえ、腕をねじ上げる。アンタイオスは髪を乱し、顔を歪め、指を開いて虚空を掻く。人体の筋肉と苦痛の表情を描き分けた前6世紀末の到達点として、美術史でしばしば言及される。
ただしこの段階では、まだ「持ち上げる」場面が描かれない。地面から離す瞬間を主題とする図像が現れるのは前5世紀後半以降で、次の世紀に広まった。物語の要点がどこにあるかという理解そのものが、時代とともに移動したことになる。ルネサンスの彫刻家たちはこの持ち上げの構図を好み、アントニオ・ポッライウォーロの小ブロンズ像などが作られた。
関わる伝承
父はポセイドーン、母はガイア。ローマの地誌家ポンポニウス・メラは、妻を女神ティンゲーとする。娘イーピノエーはヘーラクレースと交わり、子パライモーンを生んだとも伝えられる。
ベルベルの人々のあいだではアンティの名で知られたとされ、この巨人は、ギリシア人が前7世紀半ばにキュレーナイカへ植民して以降、現地の伝承からギリシア神話へ取り込まれた存在と見られている。エジプトのチェブ市がギリシア・ローマ期にアンタイオポリスと呼ばれたのも同じ名によるが、この都市の守護神ネムティとリビュアの巨人が本来同じものであったかは定かでない。
文化的足跡
墓の伝承が長く生きた。ローマの将軍セルトリウスがヒスパニアから北アフリカへ渡ったとき、ティンギスの住民は塚のなかにアンタイオスの巨大な遺骨があると告げた。掘らせると実際に巨大な骨が出たので、将軍は塚を閉じ、供犠を捧げて墓の名声を高めたとプルタルコスは記す。タンジェから50キロほどのムズーラの環状列石がこれにあたるとする説がある。
ルカヌス『内乱記』第4巻は、リビュアの住民がローマ人クリオーにこの物語を語って聞かせる形をとる。ダンテ『神曲』地獄篇第31歌では、巨人たちの井戸の縁に立つアンタイオスが、ダンテとウェルギリウスを掌に載せて最下層へ降ろす。鎖で縛られた他の巨人と違って彼だけが自由なのは、神々に反逆しなかったからだと説明される。ギュスターヴ・ドレによる同書の挿絵(1861年)はこの場面を巨大さの誇張とともに描き、近代におけるアンタイオスの図像として広く流布した。
領分・別名
親・配偶者・子までを表示(全体はフル系図ページへ)。実線=主要伝承/点線=異伝・別系統。