テオニム THEONYM · 世界神話アーカイブ 神格を検索
玉藻前
PLATE — 玉藻前
YAMATO · 日本神話
玉藻前

玉藻前

玉藻の前 · 白面金毛九尾狐 · 九尾の狐

Tsukioka Yoshitoshi (月岡芳年) PUBLIC DOMAIN

日本の伝説上の妖狐。平安末、絶世の美女として鳥羽上皇に寵愛されたが、正体は白面金毛九尾の狐と見破られ、那須野に逃れて殺生石になったと伝えられる。

01

解説

概要

玉藻前(たまものまえ)は、日本の伝承に語られる妖狐(ようこ)の化身である。平安時代末、たぐいまれな美貌と学識をもつ女性として鳥羽上皇(とばじょうこう)に寵愛されたが、その正体は白面金毛九尾(はくめんこんもうきゅうび)の狐であった、と伝えられる。正体を見破られた玉藻前は下野国の那須野へ逃れ、討たれて毒気を放つ殺生石(せっしょうせき)になったという。傾国の美女にして人を惑わす妖怪、その妖しさゆえに、後世の物語や芸能でくり返し取り上げられた。

物語

物語の骨格は、室町期の御伽草子『玉藻の草子』や能『殺生石』などに現れる。鳥羽上皇の御所に、玉藻前と呼ばれる絶世の美女が仕えていた。和歌・管弦から仏典、天竺・震旦(インド・中国)の故事まで、いかなる問いにもよどみなく答える才媛であったという。ところが上皇はしだいに病に伏せる。原因を占った陰陽師の安倍泰成(あべのやすなり)は、玉藻前こそその正体は妖狐であり、上皇の命を蝕んでいると見抜いた。祈祷の場で正体を暴かれた玉藻前は、九尾の狐の姿を現して逃げ去る。

狐は下野国那須野に潜んだが、朝廷の遣わした三浦介・上総介らの武士に狩り立てられ、ついに討たれた。だが狐の怨念は巨大な毒石となり、近づく人や獣の命を奪って人々を恐れさせた。これが殺生石である。のち南北朝期に、玄翁(げんのう)和尚が石を打ち砕いて霊を鎮め、砕けた石は各地へ飛び散ったと伝えられる。石を割る鉄槌を「玄翁(げんのう)」と呼ぶのは、この和尚の名にちなむ。

図像と象徴

玉藻前は、二つの相をあわせもつ姿で描かれる。一つは十二単をまとった宮廷の美女の相、いま一つは金色の毛に九つの尾をもつ狐の相である。浮世絵ではしばしば、鏡に照らされて正体を現す瞬間や、那須野の殺生石のかたわらに立つ姿が題材となった。本項に掲げる月岡芳年の作も、殺生石を背にした玉藻前を描いたものである。

象徴として玉藻前に託されるのは、美と知が孕む危うさである。傾国の美女という主題は、狐の変化(へんげ)という日本の妖狐譚と結びつき、艶やかさと恐ろしさを同居させた。田畑を守る稲荷神神使たる善き狐とは対照的に、玉藻前の狐は人と国を惑わす禍々しい狐であり、狐という動物に託された両極の想像力をよく示している。

三国に伝わる狐

玉藻前の伝説の妙味は、この妖狐が一国にとどまらないところにある。後世、とりわけ江戸の読本『絵本三国妖婦伝』などによって、玉藻前の前身は中国や天竺(インド)にさかのぼるものとされた。天竺では斑足王(はんぞくおう)をたぶらかした華陽夫人、震旦では周の幽王の后褒姒(ほうじ)、さらに殷の紂王を惑わせて国を滅ぼした妲己(だっき)——これらの傾国の悪女がいずれも同じ九尾の狐であり、それが海を越えて日本に渡って玉藻前となった、という筋立てである。この三国伝来の物語は、中国古典の九尾狐や妲己の悪女譚と、日本の玉藻前・殺生石の伝説とが、長い時間をかけて重ね合わされて生まれたものである。

文化的足跡

玉藻前は、能『殺生石』、浄瑠璃・歌舞伎『絵本増補玉藻前曦袂』など、近世の芸能で大いに好まれた。九尾の狐という造形は、現代の漫画・アニメ・ゲームにも数多く受け継がれ、玉藻前はその代表的な源泉の一つとなっている。那須の殺生石は、今日も名勝として残る。ただし作品ごとの造形や設定は創作であり、伝承の伝える玉藻前の姿とは切り分けて捉える必要がある。

02

領分・別名

03

資料

Wikidata
Q1327792 — 骨格データの出典
Commons
Tamamo-no-Mae — 図像カテゴリ