パナケイア
パナケイアー · パナキーア · Panacea
万能の薬を司るギリシアの女神。アスクレーピオスとエピオネーの娘で、五姉妹のうち薬そのものを担う。名は「パナセア(万能薬)」として近代語に残った。
解説
概要
パナケイア(Πανάκεια)は、ギリシア神話で万能の薬を司る女神である。名は「すべてを癒すもの」を意味する。
医神アスクレーピオスとエピオネーの娘で、四人の姉妹とともに父の技のそれぞれ一面を担った。姉妹のうちヒュギエイアが健康と清潔を、イアソーが病からの回復を、アケソーが治癒の過程を、アイグレーが輝くような健やかさを受け持つのに対し、この女神が担うのは薬そのものである。
神話・物語
固有の物語は伝わらない。この女神が現れるのは、祭壇の献辞と、医師の誓いの文言のなかである。
「ヒッポクラテスの誓い」の冒頭に、その名が見える——医神アポローンに、アスクレーピオスに、ヒュギエイアに、パナケイアに、そしてすべての男神女神にかけて。二千年以上にわたり医師が唱えてきた文の中に、この女神の名が置かれている。
伝承には揺れがある。パナケイアと姉妹たちは、アスクレーピオスの娘ではなく妻として現れることもある。研究者のなかには、この女神がアスクレーピオス神話に取り込まれる以前は独立した神格だったのではないかと見る者もいる。
兄弟には、診断に長けたトリッカの王ポダレイリオス、外科の名手であった同じくトリッカの王マカーオーン、そして父に仕えることに生涯を捧げたテレスポロスがいる。マカーオーンとポダレイリオスはトロイア戦争に従軍し、マカーオーンはアマゾーンの女王ペンテシレイアに討たれた。異母の兄弟には、シキュオンの守護者にして解放者とされる英雄アラトスがいる。
図像と象徴
本サイトが掲げるのは、後2世紀の小像である(ギリシア・ディオン考古学博物館蔵)。アスクレーピオスの子どもたちを表した一群のうちの一体で、姉妹のアケソーの像とともに出土した。
この女神の持物は、湿布あるいは水薬である。膏薬を練り、薬液を用いて病者を癒すという、具体的な手当ての道具が属性になっている。姉ヒュギエイアの持物が蛇と杯という象徴的な組み合わせであるのに対し、こちらは実際の薬そのものである。
姉妹のあいだの分担そのものが、この一族の図像を読むうえでの要である。予防(ヒュギエイア)、回復(イアソー)、治癒の過程(アケソー)、輝く健康(アイグレー)、そして薬(パナケイア)。医療という営みが五つの局面に分けられ、それぞれに名と姿が与えられている。ギリシアにおいて擬人化がどこまで細かく行われたかを示す好例といえる。
系譜と関係
父はアスクレーピオス、母はエピオネー。姉妹はヒュギエイア、イアソー、アケソー、アイグレー。弟はテレスポロス、兄はマカーオーンとポダレイリオス。
トラキアないしモエシアを流れる川がこの女神の名を採り、今日もブルガリアでズラトナ・パネガ(「黄金のパネガ」)と呼ばれている。ギリシア語のパナケイアに由来する名である。
文化的足跡
「パナセア(panacea)」は、あらゆる病を癒すとされる薬を指す語として、ヨーロッパの医学史に定着した。中世からルネサンスにかけての錬金術は、この万能薬の探求を目標の一つに掲げている。
さらに転じて、今日では「あらゆる問題を一挙に解決するもの」を意味する比喩として用いられる。多くの場合、そんなものは存在しないという含みを伴う。万能薬の女神の名が、万能薬など存在しないと言うための語になった。名が概念になり、その概念が懐疑の対象になるまでの経路が、この一語に畳み込まれている。