火の蛇
オグニェンヌイ・ズメイ · 火の竜 · ズメイ・リュバク
東スラヴと西スラヴの悪霊。空では翼ある火の蛇、地では亡夫や不在の夫の姿をとって女のもとへ夜ごと通う。訪れられた女は衰えて死ぬ。流れ星や隕石とも結びつけられた。
解説
概要
火の蛇(ロシア語 Огненный змей、ウクライナ語 вогняний змій)は、東スラヴと西スラヴの民間信仰に語られる悪霊である。空にあっては翼を持つ火の蛇として、地に降りては人の姿として現れ、女のもとへ夜ごと通う。訪れられた女は衰え、やがて死ぬ。
呼び名は多い。ロシアではズメイ・リュバク(змей-любак、「情夫蛇」)、レトゥーン(летун、「飛ぶもの」)、ナリョートニク(налётник、「襲来する者」)、プレレスニク(прелестник、「魅了する者」)、マニヤーク(маньяк、「誘い寄せる者」)。ウクライナではペレレスニク(перелесник、「誘惑者」)、リタヴェツ(літавець)。ポーランドではラタヴィエツ(latawiec、「飛ぶ者」)。名のほとんどが、飛ぶことか誘うことのどちらかを指している。
同じ「飛ぶ蛇」でも、南スラヴのズマイは雲と戦って雹から畑を守る守護者としての性格が強い。レフキエフスカヤらは、この点を根拠に東・西スラヴの火の蛇と南スラヴの蛇を一つの形象として扱うべきではないとする。
登場する物語
筋書きはほぼ一つである。夫を亡くした女、あるいは夫が遠くへ行っている女が、その死や不在を嘆きすぎる。すると火の蛇が現れる。
空を飛ぶあいだ、それは火の蛇であり、青く光る玉であり、燃える天秤棒であり、火の箒である。屋根の上で火花となって散り、煙突を通って家に入る。地に降りるとき翼は落ち、そこに立っているのは亡くなった夫、あるいは離れている夫その人である。贈り物を携えてくるが、夜が明けるとそれは馬糞に変わっている。
見破る方法が細かく語られる。悪魔である以上、背骨がない。だから女は手探りで背に骨があるかを確かめられる。キリスト教の聖なる名を正しく発音できず、「イイスス・フリストス」を「スス・フリストス」、「ボゴロディツァ(生神女)」を「チュドロディツァ」と言ってしまう。人の姿をしていても頭が複数あるという伝えもある(ウクライナ、ヴォロネジ)。
訪れられた女は乳か血を吸われ、痩せ衰え、正気を失い、やがて死ぬ。この関係から生まれる子は、黒く、足に蹄があり、瞼のない目をしている。あるいは冷たいゼリーのようで、いずれにせよ生きられない。妊娠は三年に及ぶこともあり、腹から出てくるのが砂や燃えさしだったという話もある。不浄なものは子を生さない、という民間の観念がここに現れている。
追い払う手立てもある。オドレニ草やゴボウの煎じ汁、あるいは茎を壁に挿す。家では詩篇を読む。窓、戸、煙突に十字を切って封じる。カルパチアには、女が息子と娘に婚礼の衣装を着せ、蛇に問われて「兄が妹を娶るのです」と答え、「兄が妹を娶ることなどあるものか」と言われたところで「では死んだ者が生きた者のもとへ通うことはあるのですか」と返す、という話がある。異常には異常を返す。
火の蛇は、家に富を運ぶ精でもあった。三年、五年、七年、九年を経た鶏の卵を人が懐で温めると孵るという。ベラルーシではクレトニク(клетнік、穀倉に住む者)と呼ばれ、隣家から金品や穀物を盗んで持ち帰る。報酬に求めるのは塩気を控えた卵料理である。求めに応じなければ火で報いる。誰かの暮らし向きが急に良くなると、「あいつのところには蛇が金を運んでいる」と陰口をたたかれた。
図像と象徴
本項の主画像は、15世紀の『ラジヴィウ年代記』の細密画である。1091年、フセヴォロド・ヤロスラヴィチがヴィシュゴロド近郊で狩りをしていたとき、空から落ちてきた竜——おそらくは隕石——を描く。年代記の翌1092年の条には、黒ずんだ雲のなかから頭に火を放つ三つ頭の大蛇が煙と音とともに現れたという記述があり、火の蛇への早い言及として挙げられることがある。
象徴の中心は、流れ星と火球である。火の蛇を隕石や彗星と結びつける言い伝えは、ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、セルビアに広く分布する。トゥーラ州の伝説では、大天使ミカエルが堕天使を突き落としたとき、地まで落ちきらずに大気にとどまった者が火の蛇になったという。シベリアのタイガでは、流れ星を見た作業員が一斉に「ズメイ(蛇)」と叫んだという記録が残る。
もう一つの象徴は、嘆きの禁忌である。東スラヴでは、死者を泣きすぎること、不在の夫を思いつめることが、火の蛇を招く原因とされた。喪の作法を破った者に罰が下るという構造であり、この怪異は悲しみの管理装置でもあった。
関係する神格・退治した英雄
退治する英雄はいない。防ぐか、追い払うかである。
火の蛇は歩く死者の一形態と見なされる。死んだのちに妻や思い人のもとへ現れる者であり、南スラヴではこの一連の主題が吸血鬼に結びつけられている。また悪魔(チョルト)の一形態でもあり、しばしばインクブスと呼ばれる。ウクライナの右岸地方でオバヤスヌィク(обаясник)と呼ばれるものも同類で、死者への嘆きが強すぎるとその死者が悪霊に変じて夜ごと飛んでくるとされた。ドイツのビュルガーのバラード『レノーレ』に代表される「死んだ花婿」の話群と、そのまま連なる主題である。
火の蛇が人の女と交わって生んだ息子が、狼になるヴォルコラクであるという伝えがある。ズメイ・オグニェンヌイ・ヴォルク(火の蛇なる狼)と名乗り、父と戦って勝ったという。セルビアの叙事詩に歌われるズマイ・オグニェニ・ヴク(火竜ヴク)は、史実のデスポト・ヴク・ブランコヴィチと重ねられている。
バルトにも近い存在がいる。リトアニアのアイトヴァラス、エストニアのクラットは、いずれも富を運び、卵料理を好み、怒れば火で報いる。ただしクラットには女を誘う面がない。中世以降にバシリスク譚がヨーロッパ全域に広まった影響で、似た伝承が各地に生まれたと見る説もある。
東スラヴの伝承では、この存在はしばしば富をもたらす家の精と混同された。誘惑者であり、殺し手であり、同時に蓄えを増やしてくれる者でもある。同じ火が、家を焼きもし、養いもする。ラルグの両義性と同じ構図である。
文化的足跡
16世紀の『ピョートルとフェヴロニヤの物語』では、この悪魔が飛ぶ蛇の姿でパーヴェル公の妻のもとへ通う。ロシアの詩人アファナーシー・フェートは1847年のバラード『蛇』で、若い寡婦のもとへ夜空から降りてくる竜を歌った。レーシャ・ウクラインカの戯曲『森の歌』(1911年)には、ペレレスニクの名で登場する。
呪文(ザゴヴォル)の世界にも現れる。女を「飛ぶ竜」から守る文句、戦に赴く兵が身を守る文句のなかで名指しされ、逆に、女に情欲を植えつける使い魔として召される呪文もある。
現代では、ロシアのゲーム『ブラックブック』(2021年)に敵役の悪魔の一体として登場する。ズメイ・ゴルィヌィチをはじめとする昔話の竜とは、同じ「ズメイ」の名を負いながら性格が異なる。あちらは英雄に討たれる怪物であり、こちらは討たれることのない、家のなかへ入ってくる訪問者である。