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鵺
PLATE — 鵺
YAMATO · 日本神話

鵼 · 恠鳥 · 夜鳥

歌川国芳「木曾街道六十九次之内」より(嘉永5年/1852年) PUBLIC DOMAIN

『平家物語』が語る、猿の顔・狸の胴・虎の手足・蛇の尾をもつ怪。御所に現れて帝を病ませ、源頼政に射落とされた。もとは夜に鳴く凶鳥の名である。

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解説

概要

鵺(ぬえ)は、日本の神話・伝承に伝わる妖怪である。『平家物語』は、猿の顔、狸の胴、虎の手足、蛇の尾をもち、鵺の声で鳴くものとして描く。平安末、御所に夜ごと黒雲とともに現れて帝を病ませ、源頼政の矢に射落とされたと語られる。

もっとも、『平家物語』はこの怪物に名を与えていない。あくまで「鵺の声で鳴く得体の知れないもの」であって、鵺そのものではない。「鵺」は本来、夜に鳴く鳥の名であり、それが怪物の呼び名として定着したのは後世のことである。正体の定まらないものを「鵺のような」と評する言い回しが今も生きているのは、この由来にふさわしい。

由来と名称

「ぬえ」は『古事記』『万葉集』にも見える古い語で、夜に鳴く鳥を指した。現在ではトラツグミに比定するのが定説である。その寂しげな鳴き声は平安の人々に不吉なものと受け取られ、鳴くたびに天皇や貴族は大事の起こらぬよう祈祷させたという。『和名類聚抄』などの古辞書もこの鳥を扱う。

漢字表記は鵺・鵼・恠鳥・夜鳥・奴延鳥と一定しない。諏訪春雄は、『山海経』北山経に見える想像上の鳥「白鵺」と、別の怪鳥「鵼」とを日本で同一視し、ともに「ぬえ」と訓んだ結果、意味も混同されたと説く。なお『和漢三才図会』は鵺を怪異ではなく鳥類の一種として扱っており、江戸中期の博物学の側では鳥としての鵺の理解がなお生きていたことがわかる。

記録の上でも、鵺は主として「鳴くもの」として現れる。延喜五年(九〇五)に恠鳥が鳴いたので諸社に幣を奉ったと『日本紀略』が記すのをはじめ、『殿暦』『台記』『玉葉』『吾妻鏡』『太平記』などに出現の記事が散見する。京都市埋蔵文化財研究所の丸川義広は、これらが平安末から南北朝の動乱期に集中することを指摘している。世が乱れるとき、人は不吉な鳥の声を聞き取ったということである。

登場する物語

『平家物語』巻第四の頼政の鵺退治が最もよく知られる。天皇の住む清涼殿に夜ごと黒煙と不気味な声が満ち、帝はついに病の床に就いた。薬も祈祷も効かず、かつて源義家が弓の弦を鳴らして怪異を鎮めた前例に倣い、弓の名手である源頼政に退治が命じられる。頼政は郎党の猪早太を伴い、山鳥の尾で矧いだ尖り矢を射た。悲鳴とともに落ちてきたものを猪早太が取り押さえてとどめを刺すと、空にはカッコウの声が響き、帝の病も癒えた。頼政は褒美に獅子王の太刀を賜ったという。

年代は資料によって割れる。『平家物語』は近衛天皇の御代とするが、二条天皇・後白河天皇・鳥羽天皇の代とするものもあり、一定しない。

射落とされた鵺のその後にも異伝が多い。祟りを恐れた都人が骸を舟に乗せて川に流し、それが芦屋の浜に漂着して鵺塚に葬られたとも、淀川下流に流れ着いて塚を建てられたとも、清水寺に埋められたとも伝える。鵺の死霊が一頭の名馬と化して頼政に飼われ、その馬を平宗盛に取り上げられたことが以仁王の挙兵の遠因となった——つまり鵺は死後に宿縁を晴らした——とする説話もある。静岡県浜松市三ヶ日町の鵺代・胴崎・羽平・尾奈という地名は、鵺の頭・胴・羽・尾が落ちた場所によるとされる。愛媛県久万高原町には、鵺の正体は頼政の母であり、源氏再興を祈るうちに鵺と化して息子に手柄を立てさせたという、ひときわ変わった伝えがある。

頼政の一件に先立って、平清盛が鵺を捕らえたとする話も『平家物語』『源平盛衰記』にある。崇徳天皇の代、南殿に鵺の声が響いたとき、清盛が声を頼りに躍りかかって袖に受け止めたところ、捕らえたのは鳥ではなく鼠に似た獣であったという。江戸後期の儒者・朝川鼎は、この獣の名として記される「毛朱」は「毛未」の誤りで、和名「毛美」すなわちムササビの類であろうと考証している。

図像と象徴

鵺の姿は文献ごとに揺れる。『平家物語』は猿の頭・狸の胴・虎の手足・蛇の尾とし、『源平盛衰記』は「頭は猿、背は虎、尾は狐、足は狸」と記す。胴について何も述べない本もあり、室町期の『看聞日記』が北野社に現れたとする、頭は猫・身は鶏・尾は蛇の怪鳥も鵺の類とされることがある。要素の組み合わせは固定していない。

寅(虎)・巳(蛇)・申(猿)・戌亥(犬と猪)という方位の獣を合成したものとみる解釈もある。方位の獣を集めた姿という点では、が牛と虎から造形されたとする説と同じ発想に立つ。

寄せ集めの怪という点で、ギリシアのキマイラとしばしば比較される。ただし両者に系統上のつながりはなく、複数の獣を合成して異形を作るという発想が別々に成立したものとみるべきである。

近世には浮世絵の画題となった。本項に掲げる歌川国芳の錦絵(嘉永五年/一八五二)は、黒雲とともに御所へ降下する鵺を描く。鵺の姿が一枚の絵として定型化するのは、この時代を待たなければならなかった。

関係する人と場所

退治した源頼政は摂津源氏の武将で、のちに以仁王を奉じて挙兵し宇治に敗死する。鵺退治は、この人物を英雄として語るための伝説として育った。京都には、頼政が矢を洗ったという二条公園の鵺池、退治を祈願して矢尻を奉納したという神明神社など、伝説にちなむ場所が点在する。兵庫県芦屋市と大阪市都島区には鵺塚が残る。

文化的足跡

能の『鵺』は世阿弥の作で、成仏できぬ鵺の亡霊が旅僧に身の上を語る切能である。討たれる側の内面から語り直した点で、この曲は説話とは別の相を鵺に与えた。壬生寺の大念仏狂言『夜鳥』、石見神楽の『頼政』にも取り上げられている。掴みどころのない人物や集団を「鵺のようだ」と評する用法は、現代の政治報道にも生きている。近年の小説・漫画・ゲームにも合成獣として登場するが、その造形は作品ごとの創作である。

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領分・別名

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資料

Wikidata
Q1165886 — 骨格データの出典
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Nue — 図像カテゴリ