テオニム THEONYM · 世界神話アーカイブ 神格を検索
ニオベー
PLATE — ΝΙΌΒΗ
HELLAS · ギリシア神話
ΝΙΌΒΗ

ニオベー

ニオベ · ニオベー · Niobe

Francesco Bini CC BY-SA 4.0

タンタロスの娘でテーバイ王妃。子の数を誇ってレートーを侮り、十四人の子をすべて射殺されて石と化した。

01

解説

概要

ニオベー(Νιόβη / Niobē)は、リューディア王タンタロスの娘で、ペロプスの姉妹、テーバイ王アムピーオーンの妻である。多くの子を持つことを誇って女神レートーを侮り、その子アポローンアルテミスに子をすべて射殺された。

彼女の物語は、神に対する人間の言葉が罰を招くという型のなかでも、罰の規模が際立っている。父タンタロスが神々の全知を試して永遠の飢渇に処されたのに対し、娘は言葉一つで一族を失う。同じ家系の二代が、傲慢の異なる形を担っている。

神話・物語

子の数は資料によって六対から十対まで分かれるが、七男七女とするのが通例である。テーバイでレートーへの供犠が行われたとき、彼女は言った——自分には十四人の子がいるのに、あの女神には二人しかいない、と。

レートーの求めに応じ、アポローンが息子たちを、アルテミスが娘たちを射殺した。オウィディウス『変身物語』は、狩りに出ていた息子たちが次々に倒れ、続いて館の中の娘たちが射抜かれる過程を詳細に描く。最後の一人を胸に抱いて庇おうとする彼女の懇願も容れられない。夫アムピーオーンは自ら死んだ。

遺体は九日のあいだ葬られなかった。神々が人々を石に変えていたためであり、十日目に神々自身が埋葬したとホメーロスは記す。

すべてを失った彼女は故郷シピュロス山へ帰り、石と化した。それでもなお涙は流れ続けたという。ホメーロスは『イーリアス』第24巻で、息子の遺体を乞うプリアモスアキレウスがこの話を語る場面を置く。ニオベーですら食を取ったのだから、あなたも食事をせよ——嘆きの極限にある者にも生活が続くという趣旨であり、叙事詩全体で最も静かな慰めの言葉として読まれてきた。

図像と象徴

本ページの主画像はローマ期の大理石群像《ニオベーと末娘》(後1〜2世紀、フィレンツェ、ウフィツィ美術館)で、末子を胸に抱えて庇う姿を表す。前4世紀のギリシア原作の模刻とされ、スコパスあるいはプラクシテレスに帰する説がある。

陶画では、倒れる子らを描く場面が繰り返された。前5世紀の「ニオビデスの絵師」の名は、この主題を描いたクラーテール(ルーヴル美術館)に由来する。射る神と倒れる者を上下に配する構成が定型となった。

シピュロス山(現トルコ西部)には彼女とされる岩があり、湧き水が涙に見立てられた。パウサニアースは、遠くから見れば嘆く女に見えるが近づくとただの岩だと記している。神話が実際の地形に固定されていた例である。

系譜と関係

父タンタロス、母ディオーネーあるいはエウリュアナッサ。兄弟にペロプス、ブローテアース。夫はテーバイ王アムピーオーン。子はニオビダイと総称され、一人か二人だけが助かったとする伝えもある。

生き残った娘の一人がクローリスで、ピュロス王ネーレウスの妻となりネストールを生んだ。トロイア戦争の老将ネストールは、この一族の生き残りの孫にあたる。

文化的足跡

「ニオベー」は嘆く母の代名詞として西洋文学に定着した。シェイクスピア『ハムレット』が母を「ニオベーのように涙にくれて」と形容する一節が広く知られる。

エウリピデス以前からアイスキュロスとソポクレースがそれぞれ彼女を主題とする悲劇を書いたが、いずれも断片のみが残る。石になってなお涙を流すという結末は、悲嘆が終わらないことの図像として、彫刻と絵画で繰り返し扱われてきた。

02

領分・別名

03

資料

Wikidata
Q213621 — 骨格データの出典
Commons
Niobe — 図像カテゴリ