絡新婦
女郎蜘蛛 · じょろうぐも · ジョロウグモ
美しい女に化けて男を誘い、食い殺すと語られる蜘蛛の妖怪。滝や淵の主として伝えられる例が多く、水難の説明としても働いた。
解説
概要
絡新婦(じょろうぐも)は、年を経た蜘蛛が化したとされる妖怪である。美しい女の姿をとって男に近づき、糸で絡めて食い殺すと語られる。本来の表記は「女郎蜘蛛」で、「絡新婦」はこれに漢名を当てた熟字訓である。江戸期の怪談集に名が見え、鳥山石燕の『画図百鬼夜行』は、火を吐く子蜘蛛を従えた蜘蛛女として描いた。滝や淵の主として伝えられる例が多く、山中の妖怪というより水辺の妖怪としての性格が強い。
登場する物語
江戸初期の百物語系怪談集『宿直草』(とのいぐさ)には、ある武士の前に十九、二十ばかりの女が子を抱いて現れ、「あれこそ父ぞ、行きて抱かれよ」と子に言わせる話がある。武士が正体を見抜いて斬りつけると、女は天井裏へ逃げた。翌日そこを検めると、一、二尺の絡新婦が刀傷を負って死んでおり、周囲には食い殺された無数の人の骸があったという。
『太平百物語』の「孫六女郎蜘にたぶらかされし事」では、作州高田の孫六なる男が、五十がらみの女に招かれて屋敷を訪ね、そこで娘に求婚される。妻がいるからと断ると、娘は「母は一昨日あなたに殺されかけながら訪ねてきたのに」と言ってすがりつく。逃げ惑ううちに屋敷は消え、気づけば孫六は自宅の縁側にいた。あたりを見れば小さな蜘蛛がおり、軒にはびっしりと巣が張られていた。一昨日、蜘蛛を追い払ったことを孫六は思い出す。相手が非を鳴らすのは人の側の仕打ちに対してであって、この話では妖怪よりも人のほうが先に手を出している。
土地の伝承では、滝の主として語られる例が知られる。静岡県伊豆市の浄蓮の滝では、滝壺のそばで休む男の脚に無数の糸が絡み、男がそれを切り株に結び替えると、株が滝へ引き込まれたという。同じ滝には、斧を落とした木こりが滝壺で美しい女に出会い、「ここで見たことを誰にも話すな」と口止めされたが、酒の席でつい漏らしてしまい、そのまま二度と目を覚まさなかったという話も伝わる。木こりが女に恋をし、天狗に結婚の許しを求めて拒まれ、なお滝へ走って糸に絡め取られたという悲恋の型もある。
仙台市の賢淵は、切り株が身代わりになる型の代表として知られる。株が引き込まれたあと、どこからか「賢い、賢い」と声が聞こえたことが淵の名の由来とされる。注目すべきは、この地で絡新婦がやがて水難除けの神として祀られたことである。現在も「妙法蜘蛛之霊」と刻む碑と鳥居が残る。人を襲う妖怪が、同じ場所で人を守る神に転じている。
図像と象徴
絡新婦の姿を決定づけたのは、鳥山石燕の図である。女の上半身に蜘蛛の腹と脚を備え、糸で人を吊り、火を吐く子蜘蛛を従える。石燕はこの図に、遊女に通じる「女郎」の含みと、蜘蛛の巣に獲物がかかるという生態とを重ねている。
説話としては、人ならざるものが人の姿で近づく異類婚姻譚の枠に属するが、多くの異類婚姻譚が別離に終わるのに対し、絡新婦の話は相手の死をもって終わる点が異なる。正体が露見しても去るのではなく、殺しにかかるのである。
蜘蛛が女に化けるという発想は日本に限らず、ギリシアには機織りの技をアテナと競って蜘蛛に変えられたアラクネーの物語がある。ただし両者に系統上のつながりはなく、蜘蛛の巣と糸から人を捕らえる女を連想するという、独立した発想とみるべきである。
関係する妖怪
同じ蜘蛛の妖怪でも、土蜘蛛とは筋が異なる。土蜘蛛はもともと朝廷にまつろわぬ者を指す蔑称に発し、武者に討たれる巨大な蜘蛛として物語られた。これに対し絡新婦は女に化けて男を誘う。討伐譚と誘惑譚という、別々の型に属している。
文化的足跡
実在の蜘蛛であるジョロウグモの和名は、この妖怪の名に由来するとも、遊女の装いを思わせる体色によるともいわれる。近代以降は怪談・小説の題材となり、京極夏彦の小説『絡新婦の理』のように題名に採られた例もある。現代の漫画・ゲームにも蜘蛛の女の姿でしばしば登場するが、その造形は作品ごとの創作である。